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さようなら、いとしいひと
「大嫌いよ」
これが、二人で会う最後の時間になると、解っていた。
婚約を解消し、明日からは他人になる。
もう。
二度と二人の人生は触れ合わない。
そのために、ここから遠いところへ引っ越すことを決めた。
日本ですらない場所へ。
彼女と、二度と逢わないために。
これが最後になるというのに、彼女の口からは罵りの言葉が出た。
眼に涙を溜めながら。
肩を細かく震わせながら。
「大っ嫌いよ、あなたなんか――」
それ以上、強がりを言わないでくれ。
でないと、抱き寄せて腕に包んでしまう。
懸命に別れを肯定しようとする彼女の姿を、両手を固く握りしめて見つめ続ける。
爪が手の平に食い込む。
血が流れても良いほどに、僕は手を握り続けた。
細い肩だった。
何度それを引き寄せただろう。
手の平で包んだだろう。
慈しんだ時間が、目の前をよぎる。
当たり前に愛し合っていた日々が、胸をえぐるほどに、懐かしかった
本当に叫びたい言葉を飲み込んで、ただ、罵りを彼女は口にしている。
僕の心を傷つけるために。
未練を残さないために。
その優しさが、今でも愛しかった。
「さやか」
優しく名を呼ぶ。
彼女は顔をこちらに向けなかった。
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