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私は『予知夢』が見れなくなってしまったのです。
それはもうぱったりと、まるで、それまでは規則正しく動き続けていた機械仕掛けの時計が、いきなり針を刻むのを止め、ただの置物になってしまったみたいに。
そろそろ周期的に次の『予知夢』を見るころなのに、なかなか出てこないなぁ…などと、はじめは悠長に考えていた私でしたが、それがこれまでにありえないほど間隔が伸びていき、そして『予知夢』どころか、それまでは毎晩見ていた幾つもの夢…それ自体が、消えていっていることを自覚したとき、私は、自分が『予知夢』を見れなくなっていることを認めました。
実は、私の母親もまた、すっかり『予知夢』を見なくなっていました。
『予知夢』を見たら毎回行われていた、母親による予言発表会が、そういえば最近ないな…と思ったときに、そのことを母に尋ねたらこう言われたのです。
「ああ、そんなこともあったね、夢は三十歳を過ぎたあたりから見なくなったんだよ」と。
昔から母親は『予知夢』を見ることを怖れておりましたので、妙にうれしそうにそう答える様子は、印象に残っていました。
そのときの私の感想はただ、なんだ『予知夢』はもう見なくなったのか、つまらないな…くらいのライトなものでしたが、それがまさか、『予知夢』を見なくなるだなんてそんなことが、私の身にも起こる日が来るとは夢にも思っていなかったのです。
『予知夢』が見れなくなった頃の私は、当時三十歳手前でした。
ですから『予知夢』という能力がもし遺伝によるものなのであれば、私も母親と同じように、ただ年齢とともにその力を失っただけ…ということなのかもしれません。
いや、今ではそうなのだろうと考えています。
ですが『予知夢』を見るという、幼い頃から当たり前に利用してきた力を突然失った私は、こう思ったのです。
『予知夢』を見ることができない…それが暗示しているのは、私には見るべき未来がないから…ということではないだろうか、と。
つまり、私は…約一年後に死んでしまう、ということではないのか…?
なんてバカなんだろうと呆れられてしまうかもしれませんが、このときから私は真剣に、自分の死を意識するようになりました。
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