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『予知夢』という特殊な現象を、子供であったとはいえ私が自然なものとして受け入れていたのには、母親の影響も大きかったと思います。
私の母親は『予知夢』を見る人でした。
それも、ほんの数分の何気ない日常のワンシーンが見えるだけの私とは違い、母が見る『予知夢』は、絶対的な予言でした。
母親が語るところでは、普段、眠りのなかで夢を見ることはないそうなのです。
一度眠りに入れば、次に現実で目が覚めるまで、意識は闇の中でシャットダウンされている。
そんな母がまれに夢を見ることがある。
その夢こそが、必ず後に現実となる『予知夢』であったわけです。
珍しく夢を見てしまった日の朝の母親は、いつも家族を集めて自分が見た夢の内容について話しました。
その内容は警告であることがほとんどで、自分の見た夢について語るときの母は大概難しい顔をしており、どこか怯えてもいるようでした。
今でも、母が見た『予知夢』の内容について、覚えているものがいくつかあります。
一番わかりやすいものとしては『交通事故の夢』でしょうか。
これは、まったくわかりやすい、作り話のように例題としてふさわしい夢です。
その日の朝、いつものように母は、私たちの前で昨夜見た夢の内容について話しはじめました。
その夢は、自分が車を運転していると、後続車から追突されてしまう…という内容でした。
母親はどこか腹を立てているようにも思える口調で、今日は絶対に車を運転しないからそのつもりでいてほしい、と、家族の前で宣言したのですが、いやはや何と申しますか、やはりというか母はその日、どうしても自分で車を運転して出かけなくてはならない用事ができてしまい、そして『予知夢』の通りに、後続車にカマを掘られてしまったわけです。
母親の『予知夢』は見たら最後、私が覚えている限りでは百発百中でした。
しかも私の見る『予知夢』とは違い、それは夢を見てから、当日から三日以内ほどで現実となるのです。
そんな母親の様子を生まれてからずっと近くで見ていた私にとって、自分の見る(母のそれと比べて)劣化版の『予知夢』など、皆が経験していてさもありなん…といったところでした。
ですから子供の私は、学校という…いわば広い世界に出たとき、やっと『予知夢』について世間との認識の違いというものを知り、戸惑ったわけなのです。
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