予知夢

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 よくよく考えてみれば私の母親というのは『予知夢』の他にも、おかしな不思議体験をいくつもしている女であったので(今回のお話のテーマとはずれてしまうので詳しくは割愛させていただきますが)その母を世間一般のアベレージで捉えるのがよろしくなかったのでしょう。  しかしそのようなことは、家庭という狭い世界にいる時期の子供に理解できるはずもありません。  ですが学友たちとの交流の中で、とにかくも私は『予知夢』は皆が見るものではなく、異質な現象であることを知りました。  そして成長の中で、私は自分が『予知夢』を見る人間であることを、誰にも話さなくなります。  他人に話したところで、変なことを言うやつだと思われるだけ。  理解などされず、そもそも『予知夢』の内容を他人に話すことにメリットなどないと、成長の中で気がついたというわけですね。  私が見る『予知夢』という存在は、私の心の中だけに秘められるようになりました。  現在であっても、私のこの体質を知る者は、身近な人間には誰もいません。  しかしそれはそれとして、私が約一年先の未来を『予知夢』として垣間見ることができる、その事実は依然としてあるのですから、それからも私は少し先の何ともない未来を見続けてきました。  羊の群れのなかに混ざって、羊のふりをしている私は、実はアルパカであり、こっそりと群れの中から長い首をのばすと、みんなよりも少し先の光景を見ることができる、…そんな感じです。  まあ首をのばしてみて、ちょっと先の光景を見たところで、そこに広がっているのは想像通り何の変哲もない、ただ羊が群がっているだけの風景なんですけれども。  ですが、ここからが今振り返るとちょっとした問題になるわけなんですが、こういうのって…つまり、自分だけ少し先の未来の様子を知ってしまうっていうのは、いわゆるカンニングみたいなものですよね。  愚かな子供だった私は、自分が『予知夢』で少し先の未来を知れるというのが、当たり前の習慣になってしまい、自分の頭で物事を考えるのをやめてしまったのです。  
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