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未来とは、もう決められてしまっているものである。
私たちは筋書きの決まった台本どおりに人生を歩んでいる。
それならば、あの大学に進学したいだとか思って努力したり、あの人が好きだから振り向いてほしいだとか、そういう欲を持って必死になることに何の意味があるのだろう?
どうせすべての結末は決まっているのだから、そうなる運命であればそうなるだろうし、ダメながらどんなに頑張ったって無駄なのだ。
…そんなふうに考えてしまって、学生時代の大切な時間を、私は惰性的にダラダラと過ごすはめになってしまいました。
しかしそんなふうにうぬぼれる…といいますか、情けない考えを持ってしまうのも仕方がないほどに、私の見る『予知夢』というものは、精密であり的確なものだったのです。
ですが私も歳を重ねてそれなりに知恵がついてきた頃に、自分の見る『予知夢』という現象について、それを疑ったことがありました。
切り取られた数分の日常の未来…それは、母親が見るような類いのものとは違って、簡単に予測がつくほどに平凡な内容であり、基本的には何の役にも立たない。
もしかして私の見る『予知夢』は、すでにこれまで経験してきたことの中から切り貼りして予測立てているだけの、合成シーン…つまりは、『予知夢』だと思い込んでいるだけの勘違いなのではないかと。
けれどもその疑惑は、私が二十歳前後の頃に見た『予知夢』によって否定されました。
その頃、私はこんな夢を見たのです。
夢の中の私は、当時のバイト先のロッカー室にいます。
仕事が終わったあとのようで、床に座り込んだ私の前には(座っている私の目で風景が見えているので、自分の意志で視界は変えることはできません)ペットボトルの午後ティーが置かれており、とてもリラックスした様子で誰かと会話をしているのです。
そして誰と話しているのかと言えば、それはバイト先の先輩で、その先輩も私と同じようにリラックスした様子で床に座っており、しかも先輩は青い毛糸玉を持っていて、編み物をしている、…こんな一瞬の光景が見え、そしてその『予知夢』と思しきものは、次に控えていた荒唐無稽な夢の向こうに消えていきました。
その『予知夢』を見たあと、目覚めた私は、ひどく混乱しました。
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