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名案だと言わんばかりの夫人に、親方の腕が震える。
「ふざけんな! このバ……」
「恐れ入りますが」
言ってはいけない一言を終える前に、屋敷の執事が割って入り、親方に深々と頭を下げた。
「申し訳ありませんが、そちらで準備して頂けますでしょうか」
背が低く丸っこい老人の穏やかな瞳に、親方も我にかえる。悔しそうに舌打ちし、煙突を覗き込んだ。
「おい! セティ。もう少しだけ我慢しろよ」
親方の気配がなくなると、セティは力を抜いた。酸素の少ない煙突内。頭がくらくらする。朦朧とした意識の中で、親方の言葉がじんわりと胸を温めてくれた。
うちのセティ。
大金を積まれても親方がセティをこれまでずっと手離さないでいたのは、ただ役に立つからだけではなかったのかもしれない。
次にディル・ベントの顔が思い浮かんだ。最近はずっとパンを貰いに行っていない。行くとノーラが嫉妬の暗い目で見てくるのに気づいたからだ。
抱き締めてくれた腕の暖かさと優しい笑顔や言葉は、確かにセティ一人に向けられたもの。
思えば、悪くない人生だったのかもしれない。セティは薄れていく意識の中でそう思いながら目を閉じた。
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