モラル

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背広の内ポケットに入っているボールペンを取り出し、迷う事なく不参加の欄にザッと丸をつけた。キリトリ線から雑に切り離した片割れだけを残し、案内部分をグシャグシャに丸めてゴミ箱に放り投げた。 ネクタイを外し、ソファに身を投げた。社会人になって初めてわかった事は、求人情報はあてにならないという事だ。残業なし、などと謳っている企業でも、全く無いというわけでもない。ましてや、一度残業を引き受けたならそれがどんどん当たり前になって、定時で帰れるだなんて入社して数ヶ月で夢になった。 早く上がれたとしても結局上司の付き合いで呑んで、気がついたら終電だった事なんてザラにある。精神的と肉体的な疲れを抱え帰ってきて、三者面談に参加する余裕なんてある訳がない。 今の時間翔吾は、仕事中だろう。街にあるホストクラブでバイトを始めたと言っていた。昼夜逆転で、生活リズムも狂い始めてる。代わりに出席してもらおうにも、頼める奴じゃない。面倒臭がられるのがオチだ。 ガラ、という音に振り向くと、開いた扉の前に弟がいた。まだ寝ていなかったのか、部屋着のジャージにトレーナー姿のままだ。 「…にいちゃん…」 ダイニングテーブルに乗っている紙切れに目をやり、口をもごつかせて、何かを言いにくそうにしてる。大方、担任に説得するよう言われてきたんだろう。三者面談を断るのは、これで三度目だからだ。     
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