モラル

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不意に耳に届いた音にもう一度バックミラーを盗み見る。助手席の後ろ側、窓枠にもたれかかるように耳をつけ、目を閉じている。よく耳を澄ませると、聞こえた。 不規則で、曲にすらなっていないがどこか懐かしく、聞き覚えのある曲だ。 ブレーキペダルから無意識に浮いていた足に焦り、力を込める。意識を弟に戻した時には既に、歌は止まっていた。青へと変わった信号に、ゆっくりと、振動が伝わらないように、ペダルを踏み込んだ。 次の日から、弟の事を第一に考えるようにした。やりたい事、食べたい物、行きたいところ、なんでも叶えて、なんでもしてやりたかった。今までの分まで全部、話を聞いて欲しいというならいつでも聞く気でずっと待っていた。 なのに弟は、何も言おうとしない。前は僅かに帰って来ていたリアクションもなにも、今まで以上にない。 それでもめげずに弟に毎日、何でもいいから話しかけた。翔吾に止めろと何度も言われたが関係ない。弟が自殺しようとするまで何にも気がつかなかった責任がある。 「俺は、お前の味方だから」 キッチンで錠剤を飲もうとしていた弟にかけた言葉。精一杯気を使った言葉だった。弟が欲しがってる言葉がわからなくて、当てずっぽうで、運良く当たればいいな、なんて思ったのがいけなかったのかもしれない。     
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