モラル

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 持ち上げた身体は思ったよりも重い。鳩尾が刺すように痛んだが、昔喧嘩で肋を骨折した時よりはマシだ。俺の胸元のシャツを掴み、痛みをこらえている。 「~~、~~♪」  意味は特に無い。ただ自然と歌っただけ。家の扉の前に着くまでのほんの短い道のり。サビの部分を繰り返し唄った。 真っ先に治療が始まり、術後は精神病棟に運ばれた。腕の傷を見れば一発で精神がおかしいことくらいわかるんだろう。 意識は数日のうちに戻った。が、言葉を完全に無くした。発声器官が死んだわけじゃないらしいが、自分で遮断しているんだろう。誰の、どんな問いかけにも答えない。 アパートの住人は案の定、警察に通報していた。逃げようとしたわけじゃない。ただ、パトカーが到着する前に俺達が自分から病院へ向かっただけだ。勇希が死んでいないとなると、単に兄弟喧嘩と話をする事ができる。 健吾はアパートの解約手続きと弁償手続き、俺達が別々に住むための新しい家の手続きに追われている。 代わりに、俺が警察に説明する羽目になったが、状況を客観的に見ていた分、健吾が捕まらないよう説明するのは容易かった。 健吾から連絡が来て、それが良い話題である事なんてよく考えたら一度も無かった。着信を知らせるバイブレーダーの音が、早く出ろと告げている。     
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