ある昼下がりのボクの話

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「そうですねえ。まあ……百年も経てば、だいたい書いた人間も死んでますし。それにここの調査は市と大学に一任されていますから」  高村さんは厳かに、 「静紅さんも、書いて残るものにはよくよく注意を払っておくと良いですよ」  日記を付けるのは碌なもんじゃないです、と高村さんは言う。ボクは忘れっぽいので日々のことをノートに箇条書きしていたのだが、死ぬときにはきちんとそれらが処分されるように手配しようと思った。たぶんこれも忘れそうだけれど。 「高村さんは、中身を読んだんですか?」 「読みました。わたしはあまりこういうことに抵抗がないので」  おもむろにページの中程を開いて、そこに綴られた文面を見せられる。途中まで横書きだったのが、慣れなかったのか罫線が縦になるように向けて文字が綴られていた。文体に不慣れなのと、書き手の癖だろう縦にすらりと繋がるような文字列が、上手く判読できずに頭がくらくらする。 「……読めません……」 「では一つ読み上げましょうか」  ――何時(いつ)モワタシノ手ヲ握ッテイタ貴方。時ガ進ムノハ残酷デス。一片ノ花弁ガ芳香ヲ漂ワセ(なが)ラ散ル(さま)ヲ、ワタシハ(だま)ッテ見テ居ル。唯々(ただただ)(もく)スル(ばか)リ。 「……好きな人が、いたんでしょうか」  ボクは遠くに越してしまった人のことを思い出していた。 「そうかもしれません。ただこれの他は日々の出来事を事務的に記録しているだけでした。それでも隠したかったものなんでしょう」  高村さんは朴訥とページに染みるインクを指でなぞる。 「お嬢さんが想って書いたこの人がどこの誰であるのかも、今ではわかりませんからねえ。花弁に喩えるような人……もしかしたら調査の過程で判明するかもしれませんが、それはさすがに野暮でしょう」  わたしが言えたことではありませんけどねと、高村さんは微笑んだ。  ボクとあの人は周囲に内緒で、今でもこっそり連絡は取り合っているけれど。それは今便利な道具があるからで。手紙や電話をするにも一苦労するような時代には、ただひっそりと隠しておくしかなかった気持ちが、ここに残っている。 「高村さん、もしかしてこの日記、わざとあそこに出しておいたんじゃないでしょうね……?」  高村さんは笑みを深くする。絶対にわざとだ。 「いつの時代も想うことは自由です。あとはどうしたいかだけですよ」
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