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ある昼下がりのボクの話
いくらボクが忍び足で歩いても、高村さんには及ばない。スニーカーを履いたボクの足音のおおよそは床に敷かれた絨毯に吸い込まれているけれど、それでもくぐもったトントンという音がする。高村さんはといえば、革靴の固い踵の音を一切響かせないで、いつの間にかすうっとボクの後ろに立っていたりする。これはとても心臓に悪かった。
「静紅さん」
「ひえっ」
びくりと肩を震わせてすぐに振り返る。悪戯が見つかってしまったときのような気持ちで、悪いことをしようとしたわけでもないのに謝罪の言葉が出そうになった。ああでもテーブルに置いてあった本を勝手に見ようとしたのは良くないのかな。一応ここは文化財になっている建物だし、その中にいかにも古そうな本が無造作に置かれていたって、勝手に触れていいものではないだろう。
「ご、ごめんなさい。あの、気になって」
ボクは食堂のテーブルに置かれていた古い本と高村さんを交互に見た。高村さんはそれに気づいて、「ああそれですか」と分厚いそれを持ち上げると、こっちにおいでと手招きして玄関ホールにちょこんと据えた受付の椅子に座るよう促した。玄関を開け放したままなので肌寒い。
ここは百年と少し前に作られたあるお金持ちが所有していた近代建築なのだけれど、重厚な材質と細部までこだわった建物の装飾に反して、受付窓口にはよく会議室にある長机とパイプ椅子が置かれているだけだった。二階へ上がる階段の下あたりに設置した受付で入館料を支払ったり、建物のパンフレットを渡したり。住宅街にあって平日のほとんど人が訪れない昼間に、ボクと高村さんはよく話をした。
階段室にある窓から差し込む日差しが温かく、その光に照らされた高村さんの横顔はとてもきれいだった。
高村さんは本の背を撫でてからくすんだ青い表紙をめくる。
「これはねえ。昔ここに住んでいらした、男爵家のお嬢さんの日記なんです」
「日記、ですか」
「ええ。ついこの間、子供部屋のクローゼットに仕掛けがあったのがわかって、その中から出てきたんですよ。ここの調査をしている大学の方にも連絡しましたから、取りに来るまでの間、こちらで預かるついでにちょっと拝見させていただいているんです」
「へえ……。でも、読んでしまってもいいんですか?」
だって、いくら昔の人が書いたからと言って、人の日記を読むのには抵抗がある。
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