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8. 深海の月明かり
全くこのお嬢様は。自分から映画を見ようと誘っておいてこの様だ。ブランケットにくるまっているミアからこぼさないようにマグを取り上げる。
さてどうしようか。このまま最後まで映画を見るか。
しかし彼女のことだ。楽しみにしていたからきっともう一度見ると言い出すだろう。
端末を操作してテレビを消し抱きかかえて寝室へ運ぶ。
白で統一されたシンプルなこの部屋には生活感というものが全くない。部屋の中央にあるベッド、綺麗に整頓された机と椅子。ベッドの隣にある間接照明はこのマンションに越してきた時にプレゼントしたもの。必要最低限のものしかなく、いつ見ても寂しい印象だ。唯一女の子らしいところといえばベッドの端の方にいる桜色のくまのぬいぐるみくらいだろう。
ゆっくりとベッドに下ろして布団を掛ける。自分も腰掛けて顔にかかった柔らかい髪を除けると、月明かりに照らされた形の良い唇に目がいく。
だめだ。この感情はまだ秘密。忘れてはいけない、この子と僕はビジネスパートナーであるということ。
結婚しないのだって本当は今の心地良い関係性が壊れてしまうのが怖いからだ。
彼女には不思議な力がある。見た目の美しさはもちろんだけど、周りの人を惹きつける力がとても強い。その笑顔であったり泣き顔であったり、また怒った顔でさえも。とても儚くて美しいのだ。
頬に手を添わせて撫でていると突然ミアが微笑んだ。
「あ…起きてたの。」
「くすぐったくて目が覚めちゃった。」
「ごめん起こしちゃったね。疲れたでしょ、もう休んで。」
「ううん。お兄さん、少しお喋りしてもいい?」
「うん。」
不思議な夢を見たの、と天井を見つめながらミアはポツリ、ポツリと話し始めた。
「水の中はね、とっても居心地が良かった。暖かくて、眩しくて、満たされてる感じ。」
「それで?」
「遠くで鐘の音が聴こえて……男の子がいた。眠っている、琥珀色の髪をした男の子。近づこうと手を伸ばすと消えちゃうの。でも、声が聞こえた。"ずっと待っていた。もうすぐだから"って。…ねえ、これってやっぱり私への言葉だったのかな。」
「……そうだとしても、そうでなかったとしても、その声の人は随分長い間待っていたんだろうね。」
「…可哀想。あの子も、私も。こんな夢を2回も見るなんてやっぱり病気なのかな。私、もうすぐ死んじゃうのかな。」
よっぽど怖かったのか、目には涙が浮かんでいる。今夜は雨じゃないのに彼女の涙を見ることになるなんて、相当参ってるな。元々のミアは明るい子だ。こんな風になってしまったのも全てここ数ヶ月の雨のせいなんだろう。
親指で流れる涙を拭いゆっくりと彼女の上半身だけ起こす。
神様、ハグくらいなら許されるよね。
細い肩を抱きしめて落ち着かせるように優しく頭を撫でる。彼女も答えるように腰に手を回してくれた。
「大丈夫だよ。ミアは病気でもないし死にもしない。ちょっと疲れちゃっただけだ。最近忙しかったからね。」
「…ほんとに?」
「うん。だからもう休んで。眠るまでここにいるから。」
「…ありがとう。」
一定のリズムで背中をさすっているとすぐに寝息が聞こえてきた。またゆっくりとベッドに寝かせ、最後にこぼれ落ちた涙を拭って手を握った。
…たぶん、なんとなく、本当に勘だけど彼女が見た夢は夢であって夢じゃない。かといって現実でもなさそうだ。
この近い将来に何か起こるのだろうか。
ならば願うのはただ一つ。
彼女にとって良い結末でありますように。
「はやく、元のミアに戻って。」
深い眠りについたのを確認して部屋を後にした。
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