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彼女は暗闇をまとったアイボリーのシルエットで、その日から光の中で裸になるということをしないようになった。黒くざらざらとした視界、なにかを見ようとすることを諦めると、匂いや声が大きくなった。
「はちきれそうだった、わたしの全身の感覚が、白い毛に覆われて、少しずつ靄がかかったみたいになっていく。わたしは自分の感覚を失いたくない。だから、白い毛を剃らなければならなかったの。わかる?」
「わかるよ」
わからなくたって、わかった気になっただけだって、わかるって答えなくちゃいけないときがある。そうしないと、ささくれはじめた関係の糸はふたりの間でぶつりと切れてしまうから。
カミソリが肌を撫でる音は、潮騒の音に似ていると思う、それからミルクの匂いがすると思う。地層学者が、断層から白亜紀の恐竜たちに想いを馳せるように、わたしは、彼女の傷ついた背中からいろいろなことを想像した。
彼女の背中に幾重にも細く赤い線が走っていて、それらは昨日行われたことだろうから、太古のことなんかより、ずっと簡単に、わたしには真実を正確に知るすべだって、いくらでもあった。けれど、わたしは地層学者ではないし、ひとりの人間の専門家になんてなれっこないと諦めていた。
こんなふうに言うと、愛がないのだと、思われてしまいそうだけど、わたしはわたしなりに彼女を愛していた。
挨拶や噂や嘘なんか交換せずに、わたしたちは混じり合うことができた。子どもだったけど、もっと子どもだったときの思い出だとか、お互いの考え方、体温とか、そういうものを教え合えた。理解し合えなくても、これ以上ないものを捧げあった。なんの秘密もない日々さえ確かにあった。
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