第三章 届いていますか

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 リコの感じた温かさは、この店の温かさと同じだ。そんな形の幸せがあることを、桔夏はこの場所で知ったのだ。僕は同じ温かさを感じられるように、両手でカップを持ち、ゆっくりとコーヒーを啜った。  なんとなく窓際に目を向けると、水槽が置かれていることに気づいた。赤い金魚がひらひら泳いでいる。耳をすませば、ストーブの音に混じってポンプの音も聞こえた。 「子供が小さかった頃から、ずっと何かしら飼っててね、何となく飼い続けてるんだ」  水槽を見やって、加世さんが言う。 「お子さんがいるんですね。今はもう、家を出られたんですか?」  加世さんはむすりとして、答えた。 「娘が一人。家出しちゃって、もう七、八年会ってないね」 「えっ、どこにいるか、わからないんですか?」  さあ、と加世さんは冷たく言った。高校の卒業式の翌日には姿がなく、以来会っていないという。 「もともと相性が悪くて喧嘩ばかりだったし、お互いそれでよかったのさ。働きながら一人で育てて、がんばったつもりだったんだけどねえ」  不良になっちゃった、と加世さんはおどけて言った。 「タバコやって、不良と付き合って、あたしのことはババアとか言うし。あ、それ、その不良娘が煙草で焦がした跡だよ」  加世さんが指さしたのは、フローリングの床だった。木目とはちょっと違う、黒っぽい焦げの痕。目立つほどじゃないけれど、指摘されればすぐにわかった。 「あたしがそれを怒って、あの子は自分じゃないって認めなくてさ、口もきかなくなったのは、それからだね」  なんと返したものか、言葉を探していると、タイミングよく人がやって来た。カラカラとベルを鳴らしてドアを開けたのは、郵便配達員だった。加世さんと同年配の男性で、あまり急いでいないのか、立ち話が始まった。  手持無沙汰になった僕は、窓に寄って水槽の金魚を眺めた。確か桔夏も、小学生くらいの頃金魚を飼っていた。夏祭りの金魚すくいの金魚だ。大胆すぎる桔夏はすぐにポイの紙を破ってしまい、慎重すぎる僕が粘りに粘って小さな一匹をようやく取った。それを桔夏にあげると彼女は飛び跳ねるくらい喜んで、スズちゃんに金魚鉢をねだった。金魚はコータと名付けられ、四角い水槽で飼われ始めた。
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