第六章 はじまりの場所

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「彼女の脳には、腫瘍があった。生存率は低くないけれど、長い闘病生活を覚悟しなければならなかった。そのことに絶望して、死のうとしていた」 「知らなかった……スズちゃん――お母さんには?」 「誰にも言ってなかった。知っていたのは、彼女の担当医だけだよ。そういう風に、彼女が望んだんだ」  誰にも告げず、一人で死のうとしたというのか。そんな弱々しい姿は、僕の中の桔夏と重ならなかった。 「その時のキコちゃんは、毛を逆立てた猫みたいで、めちゃくちゃなことを俺に言った」 ――私の命は、今、そこに捨てたの。死ぬなっていうなら、責任とってよ! 「……なんだそれ、ひどいな」  僕は思わず、気の抜けた笑いをこぼした。 「俺も、疲れてたのかな、ああそうかと思って納得しちゃって」 「それは相当疲れてたよ、絶対」  普通なら危ないヤツだと思って関わらないようにするだろうに。透弥は律儀に責任とやらを果たすため、桔夏を自分の生活圏に入れたのだ。 「でも、俺が彼女を一方的に支えていたわけじゃなかった。お互いぼろぼろだったけど、傷を庇い合って、結構うまくやってたんだ」  桔夏は透弥を慕って、同じボランティアサークルで積極的に活動するようになった。病院に通いながら、前向きに病気と戦っていたという。 「今後、腫瘍の増殖によって、目が見えなくなったり、手足が動かなくなる可能性も、ゼロじゃない。だから彼女は、旅に出ることにしたんだ。自分の目で見て、耳で聞いて、そして自分の足で、世界を感じるために」 「……ってことは、透弥は全部知ってたんだな。桔夏の病気のことも、旅に出た理由も」 「知っていたのは、表面的なことだけだよ。彼女の旅した場所を訪ねて、彼女の新しい一面もたくさん知った」  これは俺の想像だけど、と断って、透弥は僕を見て言った。 「キコちゃんが病気のことをコータくんに言わなかったのは、コータくんの前では、元気で前向きな自分でいたかったからじゃないかな。弱っているところなんて、見せたくなかったんだよ、きっと」  そういえばあいつは、超のつく負けず嫌いだった。学年が違って、性別も違うのに、運動会の順位から通知表の成績まで、やたらと張り合ってきた。 「でもさ、病気のこと、どうして教えてくれたんだ? あいつの意思を尊重して、教えない選択もあっただろ」 「あの物語のラストシーンを見つけるには、全部の情報が必要なんじゃないかと思って。あとはまあ、彼女も結局は君を頼って全部打ち明けたような気がするし」 「どうだろう……頼ってくれたら、嬉しいと思うけどさ」  弱々しい桔夏の姿は、透弥の話を聞いた後でも想像しづらかった。透弥は僕の言葉を聞いて、俺もそう思うよと優しい声で言った。
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