家庭教師 二

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 ヒサクニは黙った。  思うように言葉が出てこないもどかしさ、何か言えばそれを叱られるんじゃないか、そんな萎縮した空気をあたりに仄めかす。僕は何でもいいから伝えて欲しかった。大人達が押し付けるあれこれでなく、自分はこのように考える、と。  つまらない勉強の時間をできるだけ短くしたいためにあれこれ質問して時間を稼ごうとするのは、集中力の切れがちな生徒の常套手段だ。  そういう意味では彼の目的の半分は達成されている。僕はその引き換えに時給三〇〇〇円プラス交通費をもらい、彼のささやかな自尊心をバターをそぐように削ってゆく。 「……ヒサ。いま本当に野球がしたいなら、カンニングしてでもポジションを取れ」  いわゆる常識において、人はそれを言うのに躊躇する。 『お前の学力ではとても追いつかない』そんな心無い言葉を投げかけるのに等しいのではないか。  或いは不正が発覚し、教師が弁解を聴くに『あの人がやれと言った』、こうなったときどうする?  大人は様々の制約のもとに、計算を済ませてから言葉を選ぶ。  そんな環境に違う流れを生じないと人はなかなか変われない。先生でも親戚でもない、真に寄り添える第三の大人を僕は目指したいと思った。 「成績はその後ゆっくり上げていけばいい…し、まあ別に上げなくてもいい。漢字が書けない計算ができない、そんな大人なんかいっぱいいるのよ。でもちゃんと生きてる」 「…じゃあなんで家庭教師やってるんですか」 「チョコボールが四〇個もらえるから」 「そうだったんだ…」
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