4.真実

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    10  鬱蒼とした森だな、とユーリィは唇を引き締める。  蔦が絡まった樹木が立ち並び、足元には動物が通った跡すら見えない。頭上を覆うのは空ではなく茂った葉で、光の加減か黒く染まったものが蠢いているようにも見えた。一メートル先を四つの足を器用に動かしながら進むクドは特に苦を感じている様子はない。自分も四足歩行ならもっと楽に歩けるのだろうか、と考えながらユーリィは最近動かす度に金属の摩擦を感じるようになった右足を持ち上げる。  ジャスミン・シティ、と名付けた街を出てもう四日。次の未登録地区はまだ見えない。 「ユーリィ。何故あの本を押収しなかったのかね」 「説明しただろ、クド。本が一冊でもあればあそこは図書館でいられる。それに本の中身があれば入れ物は要らないんじゃないかな」 「記録士としてあるまじき発言だと思われる」 「それじゃあ今の発言は削除」 「了解した」  あの本はかつてロシアという国で生まれた作家の、短編集だった。それにパッキング処理を施しガラスケース内に戻しておいたのは、リーナが言ったあの言葉が気に入ったからだ。 「クド。どうして人間にはかつて”思い”なんてものがあったのだろうか」 「それは質問か? それなら心理学や社会学からの引用を」 「ボクやクドには一生理解できないものかもね」  自嘲して、自分の人工皮膚の手を握り締める。  ユーリィは人間、ではなかった。記憶を転写した脳素子を搭載する探索用人型ドローンだ。汚れた空気の中で呼吸をし、誰も生きていない世界を見て回る。僅かに残った人間たちがいつか再びこの世界で空を見上げられる時の準備をする為の調査の一環だった。 「クド。あそこで今夜は休もう」  その視線の先にあったのは、屋根があるだけのバス停だった。  背もたれの剥がれたベンチに寝転び、軒先から空を見上げる。 「あまり衛星通信には向かない空模様だ」 「クド、それはジョークかい? いつもボクらが見上げる空はこんなものじゃないか」  その通りだ、と答えたクドはユーリィが寝転ぶベンチの下側に入り、(うずくま)っている。どちらの意味で言ったのだろうか訊くべきだろうかと考えたが、彼は話を続けるつもりはないようなのでそのまま黙っておいた。  ユーリィはダウンロードしておいたあの本の中の一編『かわいい女』をゴーグルに呼び出して、そのページを開く。オーレンカという女性が夫と夫の仕事や趣味を愛して自分も没頭していくが、不幸なことに次々と夫や愛する男は旅立ってしまう。その生き方に彼女の主体性はなく、ただ思いだけがある。そんな女の半生の物語だった。(了)
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