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「良いガラスケースがあるよ、クド」
「素材はアクリル樹脂と推定」
入る時に見落としていたようだ。瓦礫の陰に隠れて展示用のケースが一台、倒れていた。
その中に五冊の本を見つけたが、ケースから飛び出ていた四冊は腐食していた。唯一ケースの中に留まっていた一冊だけが無事なように見えた。
「押収するよ、クド。記録」
「了解した」
時刻と押収物を犬型ドローンに記録させる。
開いたケースの隙間に手を入れ、かつてペーパーバックと呼ばれていたものだろう、片手で持てる程度のサイズの本を、取った。
「その本を、借りられますか?」
振り返ると、眼鏡の女性が立っていた。言語は英語でもドイツ語でもロシア語ですらない。
ユーリィはクドを見たが、その間に言語特定が終わったようで、彼女が自分にこの本のレンタルを尋ねたのだと理解した。
女性はユーリィとは違いかなり軽装で、脛が見える程度の長さの赤やオレンジで編み込まれたワンピースに合皮の袖なしベストを着ていた。肌はミルクチョコレートのようで、後ろでまとめられた髪は艶があり黒い。
「ところで、当館ではペットの持ち込みは禁じられていますので、申し訳ないのですがそちらの……」
「クドです。クドリャフカというのですが長いのでクドと省略しています。彼はあまり気に入っていないようです」
「クドさんは、外に括り付けておいていただけませんか?」
犬が怖い、というのではないのだろうが、彼女はまじまじと犬型ドローンを見下ろしている。
「彼はペットではなく、記録用のドローンなんです」
「ドローン?」
ああ、とユーリィは理解する。それとも、やはり、という思いだろうか。
「ロボット、いえ、色々と便利な機械です。見た目が犬の形をしているだけで」
「ロボットは分かります。なら、危険はないのですね」
「ええ。大丈夫です。あなたに襲いかかることは決してありません。それよりもこの本はとても貴重な物です。ボクらはそういったものを集めて記録、保管するのが仕事なんです。だから、持っていっても良いでしょうか」
彼女は首を振る。
「そちらの本には先約があります。その方に貸し出した後でしたら、あなたにお貸しすることも可能ですけど」
困った、という表情をユーリィはクドに向けたが、彼は「コードが優先される」と短く告げた。
コード、というものの存在が、ユーリィたち記録士にとっては絶対だった。それは彼らの業務についての規定であり、彼らを縛り付けているルールでもあり、彼らそのものとも言えた。そこには『現地に人間がいた場合、彼らの言うことを受け入れる必要がある。しかし人間でない場合においてはこの限りでない』と記されている。
彼女の輪郭が、戸惑いがちに動く度に微かな発光現象を起こす。
「その方というのはいつ来られるんですか?」
質問を返したユーリィにクドは小さく頭を振った。
「明日、帰ってこられますよ。この地球に」
「というと、どこか遠い場所に?」
「はい。彼はこの国を代表する宇宙飛行士です。アンドレ・ヤンと言います」
彼女によればアンドレ・ヤンなる人物は一年前に別の国にある打ち上げ基地からロケットで月に向かい、そこに建造されたステーションで様々な任務を十二ヶ月間こなした後、ここに戻ってくるらしい。
「分かりました。ではまた明日、訪ねてみます」
「すみません」
「いえ。先約があるのでしたら仕方ない。そうだ。お名前を教えていただけますか?」
「アンドレ・ヤンです」
「いえ、あなたの」
「わたし、ですか? わたしは……ジャスミン。ジャスミン・チェンです」
「ボクはユーリィ・コマロフ。ユーリィと気軽に呼んで下さい。それでは」
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