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「わたし、これから行かなきゃならないところがあるのよ。すぐ直して」
「いや、すぐに直してと言われても……」
「直しなさい。今すぐ直しなさい!」
「それは……」
白井は途方に暮れるばかりだった。いくら非があるとはいえ、こんな理不尽なことを言われては、たまらない。
「あのですね。まずはお互いに保険屋に電話を入れてですね、しかる後に責任分担を決めて……」
「なにを悠長なこと言ってるのよ。今すぐ車を元どおりにしてよ!」
野次馬たちの間から失笑が洩れ聞こえてきた。理不尽な注文に当惑している自分を嗤っているのだ、と白井は思った。頬や耳朶が赤く熱くなった。背中に嫌な汗が流れる。よりによってなぜ、こんな女にオカマを掘ってしまったのだろう、と自分の不運を嘆き、不運の元となった衝突箇所に、もう一度視線を移した。
そのとき、彼は気づいた。
相手側のトランクが半開きになっている。その隙間から何かが顔を覗かせているのだ。細くて小さなものだった。どこでもよく見かけるもの、だが、すぐには何だかわからなかった。よく確かめようと白井は顔を近づけ、
そして、悲鳴をあげた。
「何やってんのよ!」
その場に尻餅をついた白井に、女は罵声を浴びせた。
「ゆ……ゆ……」
白井は口を尖らせて言葉を発しようとしたが、できなかった。
「はあ?」
女は顔をしかめ、苛だちを募らせる。
「ゆ……」
「何が『ゆ』よ。馬鹿じゃないの?」
女は自分の車のトランクに手をかけ、開けた。
次の瞬間、悲鳴をあげたのは女のほうだった。
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