幻の本

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 岡崎は研究室でカッターを借りると慎重に白紙分を切り離した。ひとりで長年探求してきた課題が、慌ただしく解決されようとしている。もはや急流に逆らい後戻りすることは出来ない。  数時間が経過し、岡崎、田中、若い助手は再び工学部の一室に集まる。  見せられたのはモニターだ。だが映し出された画像には複雑な濃淡があるだけで、何が描かれているか判読することが出来ない。 「たしかに推測どおり、何かが書かれていることは判りました。行った分析は・・・」  途中まで聞いて若い助手が三人の意見を代弁する。 「美咲さんすみません。みな文系なもので、要点でお願いします」  彼女は前と同じく朗らかに笑う。 「あぶりだしのようなものですね。それも裏表両面に施されています。つまり画像が重なっている上に、使った塗料が紙へ同化してしまい判りづらいのです。皆さんは何だと思います?」  若い助手が真っ先に答えた。 「石橋莞爾が残した、旧日本軍の軍資金の地図だと思うんですよ」  若い助手は、岡崎たちの話から妄想を膨らませていたようだ。それを受けて田中が答える。 「立川流の教義を元にした図像だと思いますね。歓喜天か、摩多羅神」 「歓喜天?」 「長く秘仏扱いされていた図像ですよ。俄那鉢底(ガナバッティ・ガーシャ)とも言われ、一般には頭が象の人体が、二体相互に抱き合っている図で表されています。愛情を現しているのですが、なかには性行為そのものを描いたものもあるんですよ。如来が女性と抱き合っている図で、もちろん挿入部分も写実的に描かれています。如来は本来男女の性別を持たないのですが、立川流によると馬のペニスのように必要に応じて身体の外に現れるらしい・・・」  女性に対するデリカシーのなさが田中教授の特徴だ。だが反応したのは若い助手の方だ。 「そんな図像があるんですか?」 「今度俺のコレクションを見せてやるよ」  田中の言葉は、助手にではなく、白衣の下に豊満な身体を隠している女性科学者に向けられていた。田中はさぐりを入れたのだ。だが彼女の方が一枚上手で、動じる素振りすら見せない。科学者は人間の性衝動を肯定する。解釈を加えるのは人文系の妄想であろう。 「岡崎さんはどうお考えですか?」  彼女は話の矛先を岡崎に向けた。
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