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風の音が止んだとき桜子は夢中で青年に声をかけた。
「本は好きですか」
青年は突然はっとしたように桜子の方を向いた。
「まだ、読みかけの本があるのではないですか」
青年はぽっかりと口を開けて固まった、が、すぐに耐えきれないといった様子で笑い始めた。桜子の言葉は青年の受け売りだった。桜子は青年の言葉を何よりも信用していたから口をついて出たのは自然なことだった。
「ほら、あなたの言葉も捨てたものじゃあないでしょう」
「ははは……本当だなあ。これは一本とられました」
青年は嬉しそうに笑った。苦しみを隠したのではない本当の笑顔だと桜子は確信した。桜子の心は喜びに染まっていった。青年に落ちていた影は薄まって夜になじんでいった。
青年は手すりから降り、落ち着いた足取りで桜子に近づいた。
「ぜひ、受け取ってください」
そう言って、青年は桜子に一冊の本を手渡してきた。桜子はその本に見覚えがあった。真っ赤な表紙。桜子の中で一番輝いていつまでも色あせないあの本だった。
「いいんですか」
「もちろん。自分が納得できるものが書けたら一番にあなたに渡しに行きます。何年かかるかわかりませんが」
青年の言葉は力強く桜子の胸に響いて溶けていった。
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