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桜子は青年の瞳を見つめて黙っていた。桜子の弱りきった心は青年の問いに応答する力を持ってはいなかった。彼の瞳の中に灰にまみれた自分の姿が見えて思わず目を逸らしそうになったがぐっとこらえて対峙した。視線と視線がぶつかりあってばちばちと火花があがるようだった。風の音が止んだとき、先に口を開いたのは青年だった。
「あなた、本は好きですか」
「え」
予想外の言葉に桜子は素っ頓狂な声をもらした。それと同時に、これから灰の中へ飛び込むのだと意気込んで強ばっていた体から力が一瞬にして抜けていってしまった。
「飛び降りるのは、この本を読んでからにしませんか」
青年は手に持っていた本を桜子へと差し出し、相変わらず真剣な眼差しで桜子を見つめていた。対して桜子は本に目を移した。灰色に染まった景色の中でその本は確かな色を持っていた。桜子は導かれるように手を伸ばし、本を手に取った。桜子の冷え切った指は本でさえもほのかに温かく感じられた。青年は安心したように微笑んだ。
「おすすめです」
青年はそれだけを言い残すと軽い足取りで踵を返し、夜に溶けていった。いつの間にか日は沈みきってあたりは静かな夢に包まれているようだった。手元の本だけが色を持って桜子に訴えかけてきた。
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