伯楽一顧亭にて

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 だが俺は、最悪なことに殉死者を大量に抱えてしまった。中年共――もとい諸先輩らは小間物屋を開いていないだけまだマシなほうだが、俺はどちらかといえば語り酒を好む体質であるから、独り酒はどうも味気がしない。自宅で独り飲むことの少なさも、これが原因かもしれない。  もはや店内に生存者は俺だけのようだった。他の客は帰ってしまったようであるが、そんな状況の中意外にもまだ店仕舞いにはならないらしい。  これだけの面子を殉死させておきながら見捨てるのは、いささか良心の呵責を伴ったが、エチルアルコールへの欲望が圧倒的な凌駕を見せた。財布から、割り勘となった場合の支払い概算額から200円と少々の端数を引いた金と自分の名前を書いたメモを机に置いて、小上がりを後にした。かわいい新人のためだ、少しくらい俺に配慮してくれてもいいだろう。  店の玄関の引き戸を開くと、冬将軍が先陣を切ってきた。  生まれも育ちも関東である俺にとって雪風は辛い。酒で温まったはずの身体はみるみるうちに冷え始める。サーモグラフィーで測れば一目瞭然だろう。俺の身体は闇夜に溶け込むほど深い紫色に映るはずだ。  風はビルの隙間を縫って勢いを増しながら吹き付ける。時に高層建築物というものは世知辛い。冬のことを考えていればこんなものは作ってはいけないのだ。これだから《木枯らし1号》とかいう、わけのわからない気象用語が生まれるのだ。実際札幌や青森、秋田、仙台の方が寒いに決まってる。それなのに《木枯らし一号》という用語は無いらしい。北国出身の親父が言っていた。
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