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「もし将軍のご懸念が左府軍団のことでしたら心配には及びません。連中がおもしろく思っていないとしても将軍のご戦功は明らかです。もし何か口出ししてくるようなら…」
架忠は腰に佩いた剣の柄をつかんだ。
「兵の数で劣ると言っても我が軍は逆賊との激戦を戦い抜いた精鋭です。後詰めと称して都に籠っていた左府軍団に遅れはとりません。将軍が一言、戦えとお命じいただければ皆……」
紫陽はいきりたつ架忠の肩に手を置いた。かがみこんで架忠の目をのぞきこむ。
「心配をかけてすまぬな。だが、私は左府軍団のことなど気にかけてはおらん」
「しかし……」
「今日はもう休め。明日の行軍に差し支えるぞ」
架忠は紫陽の顔を暫く見つめた後、一礼してさがって行った。
「ふう」
紫陽は椅子に座り込んで溜息をついた。玻璃の杯を取り上げて一気に飲み干す。杯を無造作に卓子に置いた時、扉をコツコツと叩く音がした。
「誰だ?」
「ハクト、デス」
返事はひどくたどたどしかった。紫陽は戸口に歩み寄って扉を開く。外に立っていたのは一人の少女。肩まで届く髪は純白で、陶器の水差しを抱えている。
「ミズ、ドウゾ。シュオンサマノイイツケ」
水差しを胸の前に掲げた。彼女は、反乱軍の牢に捕らわれていたのを救いだし連れ帰った異人の娘だった。尖った耳と碧色の目は北方の異人の特徴だが、髪が真っ白なのはよほど過酷な体験をしたためと思われた。助け出した時は言葉をまったく話せず、自分の名前も言えなかったので、耳と白髪から白兎と名付けられた。兵站部隊の料理人朱音(しゅおん)に面倒をみるよう命じ、彼女が下働きをさせながら言葉を教え込んで、ようやく意思の疎通ができるようになってきたところだった。
「ご苦労」
紫陽が水差しを受け取り卓子に戻っても、白兎は扉のそばに立ち続けていた。いぶかしげに目をやると、
「シヨウサマノソバニヒカエル。コレモイイツケ」
と答える。紫陽が従卒を早々にお付きの任務から解放したので、朱音が気を利かせたらしかった。
「わかった。何か頼むかもしれんな、そこに控えておれ」
言葉よりも紫陽の表情で通じたのだろう。白兎はにこにこと微笑んだ。
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