反感

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「何と…、山城の従者が供待にいただと?」  忠休が聞き返した。 「左様。供待を使える従者で、押黒、紋白の羽織と申せば、田沼家の従者としか考えられず、その上、今はまだ、ご老中の登城の刻限にあらずして、さればご老中にして父上の主殿頭(とのものかみ)様ではのうて、息(そく)の山城の従者と考えるべきではござるまいか?」  久堅がそう解説してみせると、忠休は「ううむ…」と唸り声を上げ、「されば山城は何処(いずこ)へ…」と疑問を口にした。 「もしや、山城はもう、御用部屋におるのやも知れませぬ」  久堅はそう答えたかと思うと、下部屋のすぐ外で控えていた御用部屋坊主に声をかけて、山城こと意知を若年寄の執務室である次御用部屋まで案内しなかったかと尋ねた。仮に、久堅の推量が正しいとするならば、意知は御用部屋坊主の案内にて次御用部屋に向かったと思われるからだ。するとその御用部屋坊主は意外な答えをよこした。 「それが…、わたくしめが御用部屋まで先立ちいたそうとしましたところ、山城守(やましろのかみ)様より、先立ちは無用と、左様に仰せ付かりまして、それゆえ…」 「何と…、山城は一人で御用部屋に向かったと申すか?」 「ははっ」  さしもの老練な久堅もこれは想定外であった。まさか、御用部屋坊主の案内も請(こ)わずに単身、次御用部屋へ向かうとは、意知のその徹底した合理主義には久堅もほとほと呆れつつも、しかし反面、ある種の感動すら覚えていたものの、怒り心頭(しんとう)に発していた忠休を前にしては久堅もさすがに表立って意知を称揚(しょうよう)するわけにもゆかず、 「そうと分かれば我らも御用部屋へと…」  忠休らにそう促(うなが)したに留めた。忠休もそれに対して相変わらず怒り心頭(しんとう)のままうなずくと、席を立ったので、他の者もそれに続き、久堅は一番最後に下部屋を出た。  次御用部屋までの道中、まるでしんがりでも務めるかのように一番後ろを歩いていた久堅が、ところで、と切り出すや、先立ちの案内に立つ御用部屋坊主に対して、意知が何時(なんどき)に登城したのか尋ねた。先ほどは聞き忘れていたことを思い出したのだ。 「されば、明六つ(午前6時頃)に登城されましてござりまする」  その御用部屋坊主は頭を少しだけ横に向けるとそう答えたので、久堅らは大いに驚いた。
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