若年寄就任

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 つまり意次・意知父子は揃って中奥に自由に出入りし、将軍への面会が常に許されたのであった。これでは嫉妬するなと言う方が無理であろう。嫉妬と言えばもう一つ、意知は家督相続前の部屋住みの身であるので、当然、大名としての禄(ろく)を食(は)むことはできない。そこで意知(おきとも)には若年寄に進ませるに当たり、官料…、給料として蔵米(くらまい)が支給されることになったのだ。家督相続前の旗本の嫡男が小姓や小納戸などの御役に就いた場合に支給される基本切米(きほんきりまい)と同じであり、奏者番時代は支給されていなかったのが、若年寄に就くに当たり、ようやく蔵米が支給されることになったのだが、問題はその高(たか)である。基本切米が原則二百俵であるのに対して、意知には何と五千俵もの蔵米が支給されることになったのだ。これもまた、嫉妬される一因となったのだが、しかし、とうの本人たる意知はどこ吹く風、であった。部屋住みの身でありながら奏者番、若年寄ととんとん拍子(びょうし)に取り立てられたのも、何より将軍・家治の寵愛を受けるようになったのもすべては己の実力である…、そう信じて疑わぬ意知には所詮(しょせん)、凡人(ぼんじん)の嫉妬の感情など理解できよう筈(はず)もなく、この点、父・意次の方が人間として練れていた。
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