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反感
若年寄は朝の五つ半(午前9時頃)前までに登城し、納戸口より殿中に上ると、いったん若年寄専用の下部屋(しもべや)にて着衣を整え、そしてすべての若年寄が揃(そろ)ったところで、御用部屋坊主の案内により、若年寄の執務室である次御用部屋へと向かうのである。
まず初めに下部屋(しもべや)に到着するのは月番の若年寄、次いで任官年次が浅い者から順に到着し、そして最後に一番古株の若年寄が到着する…、というのがしきたりであった。今月の月番は米倉(よねくら)丹後守(たんごのかみ)昌晴(まさはる)であったので、米倉(よねくら)昌晴(まさはる)が真っ先に下部屋に到着し、皆の到着を待ち受けた。以後、任官年次が浅い太田(おおた)備後守(びんごのかみ)資愛(すけよし)、加納(かのう)遠江守(とおとうみのかみ)久堅(ひさかた)、そして勝手掛老中である酒井(さかい)石見守(いわみのかみ)忠休(ただよし)が到着した。ちなみに酒井(さかい)忠休(ただよし)は最古参の若年寄であり、若年寄上席であった松平(まつだいら)忠順(ただより)が卒するや、忠休が若年寄上席へと進み、若年寄上席として月番が免除され、「重役出勤」が許されていた。そしてもう一人、「重役出勤」が許されていた者が、つまりは月番が免除されていた者がいた。誰あろう、新任である意知その人である。意知は将軍・家治より中奥兼帯を命じられた折、月番を免除されたのであった。それがまた、嫉妬される一因となり、特に忠休の嫉妬たるや凄(すさ)まじいものがあった。
朝の五つ半(午前9時頃)が近付くにつれ、酒井忠休が到着し、皆が叩頭(こうとう)して出迎えた。忠休はうなずくと、着衣を整え始めた。着衣を整えながら、忠休は若年寄を見回し、一人足りないことに気がついた。
「意知…、山城(やましろ)は如何(いかが)致(いた)した?姿が見えぬようだが…」
着衣を整え終えるなり、忠休は尋ねた。するとそれに対して太田資愛が答えた。
「それがどうやら…、未だ到着しておらず…」
資愛はまるで我が事のように、申し訳なさげに答えた。
「馬鹿なっ、如何(いか)に中奥兼帯として月番が免除されていようとも、山城は新任なれば、真っ先に到着して我らを待ち受けるべきであろうがっ」
忠休はそう吐き捨てた。年功序列を重んじるならば当然、そう考えるのが自然である。
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