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6月の朝は早い、夜明けは4時半だ。一度目が覚めると、まだ時間があるのにもう眠れない。
5時、久恵ちゃんが部屋のドアを開けるかすかな音がする。心配りが分かる。ダイニングから朝食の準備の音がかすかに聞こえる。心地よい朝だ。
5時半になると起床して食事をする。パン、牛乳、チーズと果物の簡単な朝食だ。これを久恵ちゃんが2人分用意する。
「おはよう」
「おはようございます」
「パパの今日の予定は?」
「今日は記者クラブとの交流会で遅くなる。2次会まで付き合うから午前様になるかもしれない。夕食はパスで」
「了解」
「久恵ちゃんの予定は?」
「学校の友達と帰りにショッピング」
「お小遣いはあるの。足りなければ遠慮はいらない。前借りも可だよ」
「ありがとう、十分あるから」
「東京にはまだ慣れていないから、気を付けてね」
「大丈夫、パパこそ気を付けて」
私は川田康輔、38歳独身。大手食品会社に勤めている。役職は広報部の課長代理だ。6時過ぎに出勤して、7時過ぎには六本木の会社に到着する。最寄駅は池上線の雪谷大塚だが、運動のために東横線の自由が丘まで約25分かけて歩いている。
朝早い出勤はラッシュを避けるためと、会社での朝の挨拶が億劫なためだ。もう少しすると早朝でも暑くなって歩くのがいやになるが、今はまだ気温が低い。これまでの二人の生活をあれこれ思い出しながら歩くこの時間が楽しい。
なぜ「パパ」かと言うと、話は半年前まで遡る。去年の12月9日に、兄夫婦が突然の自動車事故で他界した。助手席の義姉は即死で、兄は2日後に死亡した。幸い娘の久恵ちゃんは友人と別行動していて無事だった。
午後一番の会議の最中に電話が入り、あわてて新幹線に飛び乗って、およそ4時間かけて雨の金沢に到着した。
兄にはまだ意識があり「久恵の力になってやってくれ」と頼まれた。久恵ちゃんには「康輔おじさんを頼れ」と言い残した。
兄は父の家電サービス会社を継いで、細々と経営していたが、死亡により経営が破たんした。
銀行からの融資残額が4,000万円近くあり、兄の自宅と実家を売却して、これに充てて整理した。
仕事で世話になった弁護士に頼んで、なんとか借金が残らないように収拾でき、久恵ちゃんにも、当面の生活資金が手元に残った。
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