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その店に入って最初に目にとまるのは、茶色いシミが浮いた色紙である。
文字は擦れて読みずらい。
四方(よも)に喜びの和在りて
海の底に映る満月を掬う.
平和は、緑一色、
何処、
天衣無縫
喜びは他人の不幸であり、海に浮かぶ月を掬うことは無駄な労力である。
緑におおわれた世界は平和だろうか。完全で自然な姿など、この世にはないのだ。
おれはそう解釈している。
店のマスターが何年も前に麻雀の上がり役を詩歌風に綴ったものだ。博打三昧のロクデナシどもには無意味だと思うのだが、マスターもそのへんはわかっているらしく、風化するのを待っているあんばいだった。
ここは一人打ち専門のフリー雀荘である。
いちげん様も大歓迎。
客がふらりとやって来て、四人揃ったらゲーム開始だ。
覆いかぶさるような低い天井と煙草のヤニで黒ずんでしまった壁。
暗い電灯の下で煙草の煙が行き場を失って淀み、灰皿から溢れた灰が湯呑茶碗にも浮かんでいる。
おれの正面には、千円札の束をシャツの胸ポケットにねじ込んだテカテカアタマのオヤジがどっかりと座っている。その隣りにマスター。臙脂の蝶ネクタイに白ワイシャツ、いちおうマスターらしい服装はしていた。
もう一人は、自称23歳のホストクラブの従業員。この店の常連だ。仕事帰りなのか、黒いスーツは煙草と酒の匂いがする。
オヤジがうーんとうなりがら麻雀牌を卓に叩きつけた。
タン!
挑発的で乾いた音が響いた。
「お客さん、静かにお願いしますよ」
マスターがぼそりと咎めた。
オヤジはぎろりと眼をむいたが何も言わなかった。
フリー雀荘には厳守するルールがある。闘牌中の私語厳禁、牌は乱暴に扱わない。イカサマと符牒による会話をさせないためだ。
ポン。
チー。
リーチ。
ロン。
最低限の用語の発声のみが許される。だから場には、常にはりつめた空気が漂う。
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