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翌日、劉備は張飛と関羽を連れて昨日張飛が物々交換したという酒屋へと向かっていた。
酒は全て張飛に持たせて劉備と関羽は懐かしむかのように街の様子を眺めていた。
張飛はぶすくれていたが、両手いっぱいの酒瓶の重さでもそれほど苦ではないように先を歩いた。
流石は力自慢の張飛というべきか。
彼は片手で大人を何人も運んだことだってあるほどだ。
しばらく歩いていると、劉備一行の前に大きな街が広がった。
豫州潁川。
行商人や官吏、武士の姿もちらほら見え、多くの買い物客や旅人でごった返している。
ここ潁川、実は劉備ともなかなか縁のある場所でもあった。
潁川は十八の領城があり、内の一つであるここ許はかつての最大の敵、魏の曹操が献帝を奉じてここに長安から都を遷したことで有名となった許昌である。
また、ここでの出身者も縁が深い。
かつて泣く泣く劉備のもとを去った悲運の軍師、徐庶はこの潁川郡許の出身であるし、遠い先祖の中山靖王劉勝もここの出身である。
街は賑やかで人も多く、学堂や学舎などの施設もいくつか存在する。
かつて多くの賢者を輩出させた名高い場所ではあるが、黄巾族の影響がまだ残っていると見え、半壊した家屋や荒らされた店などがちらほらと見られた。
劉備は曹操のもとに身を置いていた時にここを通ったこともあった。
あの頃と比べてみると、やはり今の街のが見劣りしてしまい曹操の政治手腕の確かなことを感じてしまう。
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