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夏休みを引き篭もって過ごした僕は、親にも見放され、遂には一人、海に行くことを決意した。一番安い切符を買って、最終電車に乗る。同じ車両にはスーツ姿のおじさんが一人だけで、座ったまま目の前を凝視していた。おじさんから目をそらして、一番遠くの席に座る。乗り換えのために僕が降りても、おじさんは座ったまま動かなかった。クーラーが効き過ぎて、時が凍りついたかのような先頭車両。窓から見える街の灯りは、それでも徐々に減っていく。やがて、無人駅に着いた。ここで降りて、後は海まで歩く。小学生の頃に友達と来た時は、確か三十分くらいだったはずだ。街灯はまばら。それでも迷うことはない。海から風が吹いている。潮の香りの粘り気が強くなる。だんだんと海が近づいている。程なく波の音が聞こえてきた。
夜の海は夜空色のインクを垂らしたように黒い。白波が濃灰色の線として時折現れる以外は、ずっと先まで暗闇の世界だ。静寂は波音を大きくして、体育座りの僕をすっぽりと包み込んだ。好きな人に、好きだということすら伝えられなくて、果たして、自分の夢ややりたいことを誰かに言える日が来るのだろうか。目を閉じて波に訊いても、挨拶みたいな当たり障りない返事が打ち寄せられるだけだった。家族にも、先生にも、友人にも心配ばかりかけている。自分のことしか考えてられない自分に嫌気がさして、目を強く瞑り、腕で体を締め付けた。
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