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【第百八十九面 おすそ分けですよ!】
ぐるぐるぐるぐる。小太りな双子の門番。ダミアン・トゥイードルとディーン・トゥイードルはぼくを巻き込んで踊り続ける。
「すみません! ちょっと、ちょっと止まってください! ぼくダンスとか苦手なんで! うわー!」
駄目だ全然ぼくの声が聞こえていない。
戻って来ないぼくを心配してか、アーサーさんが表に出て来た。回り続ける視界の端に困惑した様子のキングスレー氏が映っている。止まらない。まだまだ止まらない。
「あの、トゥイードルさん……。……聞こえていないようですね」
どれだけ回っただろうか。双子の息が切れてきて、ようやく踊りは終わりを告げる。体育の授業を終えたような疲労感があった。酷い目に合った。
ぼくの手を離し、ダミアンさんとディーンさんは互いの肩を叩き合っている。
「いやあ、お疲れ兄弟」
「お疲れ様、兄弟」
「あのぅ……」
「そういえば、アレク君は普段あまり姿を見ないね。お家の中が好きなのかな? 僕もそうだけどね」
「ディーンはインドア派だからな。俺は外の方が好きだけど」
「ダミアンはアウトドア派。でも、僕達は仲良し!」
「仕事も一緒!」
「うん」
「おう」
「仲良し兄弟!」
「仲良し!」
「あのー、えっと……。昼間は学校に行っているし、夜は早く寝るので……」
「健康的でいい子だね!」
ディーンさんが「それは実に良いことだ」といった風ににこにこ笑いながら大袈裟に頷いた。息ぴったりな二人がまくしたてるようにして隙を作らず話し続けるから、返答をするのも会話を止めるのも一苦労である。
激しい踊りも激しい言葉のキャッチボールも一旦止まったタイミングを見計らって、アーサーさんがぼくの背中をちょんと突いた。
「大丈夫ですか」
「ちょっと疲れたけどたぶん大丈夫です一応」
ダミアンさんが何かを思い付いた様子でぽんと手を打った。それとも、思い出したのかな。ディーンさんはそんな兄弟のことを期待の眼差しで見つめている。
「そうだ! そうだ忘れていたよ。キングスレーさんにおすそ分けをしようとしていてね。踊っているうちに忘れてしまった。あはははは」
「何を言うんだろうと思ったら! 駄目じゃないか兄弟。わはははは」
ダミアンさんは数軒先の家に駆けて行った。玄関の辺りでごそごそとしてから、戻ってくる。手にしているのは小ぶりの鍋だ。何が入っているのかな。
ご覧あれ、と蓋が開けられた鍋の中には貝がぎゅうぎゅうと入っていた。ディーンさんが「牡蠣だよ!」と捕捉をしてくれる。
「獣ばっかりのぶたのしっぽ商店街まで行って買って来たんだ。特売で安くなってて買いすぎちゃったからおすそ分けですよ!」
「おや、ありがとうございます。カドリーユさんのお店でしょうか」
「お! 詳しいんですね。キングスレーさんもぶたのしっぽ商店街に行ったことが?」
「え、えっと。たまに?」
「あそこはドミノばっかりで居心地が悪いって言う人もいるけれど、俺はあまりそういうのは気にしないんだ。みんな仲良しが一番!」
「僕らはあの大烏以外ならドミノだって歓迎さ!」
「おう!」
「うん!」
適当なところで割って入らないとまた歌と踊りが始まってしまいそうだ。同じことを考えたのか、アーサーさんは半ば取り上げるような形でダミアンさんから鍋を受け取る。
「ありがとうございます」
そしてさっさと家に引っ込もうとしている。ところが、ディーンさんが「そういえば」と口を開いてしまった。戻るに戻れず、鍋を手にしたままのアーサーさんとぼくは玄関の前に佇んだままその声に耳を傾ける。
「牡蠣と言えば!」
「牡蠣と言えば、第二王女のカレン殿下!」
「そしてお付きのエレオノーラさん!」
「二人は牡蠣が大好き」
「よく海の方へ行って新鮮なものを召し上がっているそうだよ」
「でも最近はずっと王宮にいるからちょっぴり退屈そう」
「門前にいると人の出入りがよく分かるからね」
「視察好きのアルジャーノン殿下も退屈嫌いのウィルフリッド殿下も今にも倒れてしまいそう」
「心配だね」
「心配」
「あっ!? でもダミアン、あまり内部の事情を話しちゃ駄目だよ」
「あ!」
「わっはっはっは。それじゃあキングスレーさん、ごきげんよう」
「あはは……。ではでは、キングスレーさん、また今度」
嵐が過ぎ去っていったようだった。トゥイードル兄弟はにこやかに手を振りながら数軒先の家に引っ込む。近隣住民の生活音は聞こえているのに、妙に静まり返ってしまったように感じられた。
しかしそれもほんの数秒だけで、すぐにまた双子の大きな声が響き渡った。家の中で何やら叫んでいるらしい。ぼくとアーサーさんは顔を見合わせる。
「どうしたのでしょうか……」
「まさか、街の中にバンダースナッ」
慌ててぼくは自分の口を押えたが、時すでに遅し。森の中で起こった出来事として聞いていれば問題はないけれど、街にいるかもと考えさせるのはよくなかった。一瞬にして青褪めたアーサーさんがものすごい勢いで退いた。牡蠣の入った鍋が地面に落ちる。
やはり、彼は深い深い傷を負っているのだ。どうにかして癒してあげたいけれど、ぼくにはその方法が分からない。鏡を潜ってこちら側へやってきて、ぼくはこれまで彼にたくさん助けられた。今度はぼくが力になってあげたいのに、何もできない。
飛び出してしまったい牡蠣を数個拾い、鍋に戻す。ぼくがそうしている間にも、アーサーさんは酷く怯えた様子で周囲を警戒し続けていた。
「うわー、もう驚いたぞ」
「わわー、出てけ出てけ」
「いやいや、家の中には入っていないよ。失礼な。ご近所について訊こうとしただけじゃあないか」
「うわー」
「わわー」
「どうして君達はそんなに私のことが嫌いなんだ!」
トゥイードル家の陰から姿を現したのは漆黒のドミノだった。黒くはあるが、それはバンダースナッチではない。追い立てられて飛び出してきたのは、昼間の日差しを飲み込んでしまいそうなくらい暗く深く美しい漆黒を背負ったコーカスレースのオーナーである。
イグナートさんはぼくのことを視界に捉えると、低空飛行をしたままこちらに突っ込んできた。
「やあ、ナオユキ君。いや、アレクシス君と呼んだ方がよかったかな。違うか。アレク君、だね」
鍋を抱えて家に入ろうとしていたぼくの目の前に着地して、閉めようとしていたドアに手を掛ける。強引にドアをこじ開ける形でイグナートさんは家の中に片足と片翼と上半身を捻じ込んできた。もうドアは閉められない。
逃げ場のない巣穴の奥に追い詰められた気分だ。
軽く広げられた翼は日差しを遮断していて、玄関に大きな影を落としている。その影の中で、へたり込んだアーサーさんは突然の来訪者のことを見上げていた。
「こんにちは、マーリン。……あけましておめでとうって言った方がよかったかな」
「は……。あ……。あ……?」
逃げるつもりなのだろうか、立ち上がろうとしてしきりに絨毯に強く手を当てているが全然力が入っていない。体を浮かせることのできないまま、混乱しきった様子でべしべしと絨毯を叩く。
鋭い爪や長い牙がなくても、ドミノはドミノだ。翼を生やした客人もドミノである。けれど、音にならない悲鳴を上げる口元に覗く人間離れした犬歯は、彼自身もドミノであるということをまざまざと示している。かわいそうに、なんてそんな簡単な言葉では言い表せない。
「あぁ、そんなに……。そんなに恐ろしいのか。あの事件はもう何ヶ月も前なのに。……よっ、と。お邪魔するよ!」
ぼくを押し退けて家に上がり込んできたイグナートさんはアーサーさんの前に仁王立ちになる。
「帽子屋さん、お話いいかな」
「ひ……」
「んー。これでは会話ができないな……。ナオユキ君を間に挟めばいいの?」
「イグナートさん、ちょっと待っててください。行きましょうアーサーさん、立てますか」
ぼくは鍋を持ち替えて、アーサーさんの手を引く。一旦引き離してからぼくが間に入れば会話自体は可能だろう。ナザリオが同じ部屋にいてもある程度は平気だったのだから、少し落ち着けばイグナートさんのことも多少は平気になるはずだ。今はバンダースナッチに対する恐怖が重なっているから余計に震えあがっているだけなのだ。おそらく。
お手数おかけします……と言ってアーサーさんは眼鏡のブリッジを軽く押し上げた。ひっくり返った時にずれてしまっていたのだろう。
「すまないな帽子屋さん、驚かせてしまったようで。では私はここで待機して……」
言葉が途切れる。
「イグナートさん?」
「あ……。ああ、いや、なんでもないよ。ここで待っているから、大丈夫そうだったら声をかけてくれ」
口元を軽く手で覆いながら、漆黒のオーナーはそう言った。指の間に微かに赤が見えたのは気のせいだろうか。
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