【二十五冊目 装う者の話】

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【第二百十三面 秘密のお話】  黄金の昼下がり。  先生は姉妹達に素敵で不思議な物語を聞かせる。  白いウサギを追い駆けて、迷い込んだのは不思議の国。  大きな鏡を潜り抜けて、辿り着いたのは鏡の国。  この夢から覚めてしまう、その時まで。楽しい時間がずっと続きますように。  ぼくは今日もページを捲る。  ページを捲れば、世界はそこに広がっている。           ♥  冬の名残を感じさせる風が吹いている。暖かいと呼ぶにはまだ早い、ちょっぴり冷たい風だった。 「気が向いたら休日の錦眼鏡(カレヱドスコヲプ)においで。大事な後輩だ、丁重にもてなそう。……とは言っても、骨董品屋だから大して面白くはないかもしれないけれど」  卒業証書と記念品を抱えて、鬼丸先輩はそう言った。校内で三年生を見ることができるのは今日が最後だ。 「引き継ぎの時にも言ったけれど……。二年生のみんな、後は任せたよ」  亀倉さんが「任されました!」と言ってうんうん頷いた。ぼくを含む他の二年生も現図書局長に続いて頷く。  三年生がいなくなる。四月になればぼく達が三年生である。受験生になるのなんて随分と先のことだと思っていたけれど、新年度はもうすぐそこなのだ。まだ実感が沸かないな。気が付いたら課題やテストに追われるようになるのだろうか。  図書局員でお小遣いを出し合って買ったプレゼントを三年生に手渡す。  図書局はぼくの居場所の一つだった。その場所を構築していた要素の三分の一ほどがなくなってしまう。不安だけれど、学校の部活や委員会とはそういうものだ。新しく入って来る新一年生とも仲良くできるといいな。  在校生はさっさと引き上げるんだぞー、という先生の声を聞き流しながら、後輩達は先輩達との別れを惜しむ。鬼丸先輩以外の三年生とはあまり接点はなかったけれど、みんないい人達ではあった。先輩達とのあんなことやこんなことに思いを馳せていると、袖を引かれた。 「神山先輩」  寺園さんだ。少し睨み付けるようにしてぼくのことを見上げている。 「この後、ちょっといいですか」 「いいよ」  帰りにうちに寄ってください、と彼女は続けた。  学校を後にしたぼくは、寺園さんに連れられて寺園人形店へやって来た。店内のディスプレイは雛人形よりも五月人形が目立つ形に変更されている。 「よう人間、人形の巣窟へようこそ」  カウンターのところに座っていた男がにししっと笑いながら言った。青みを帯びた長い黒髪を肩の辺りで一つに括っている。前髪も長く、顔の右半分は覆い隠されていた。青い左目だけがこちらに向けられている。  彼がこちら側に来てから、しっかりと顔を合わせるのは初めてだった。自分から話を振っていいものなのかどうなのか悩みに悩んで、寺園さんから声を掛けられるのを待ち続けていた。もっと早く自分から声を掛けてもよかったのかもしれないけれど、待つしかできなかった。ぼくは臆病だ。  図書局の当番でも一緒になることはこの数日間なかったので、今日の卒業式でようやく面と向かって言葉を交わすことができたのだ。 「大和さん」 「おっと、間違えるなよ有主君。ちょっと待っててくれ……」  大和さんは姿勢を正すと、咳ばらいをした。そして、柔らかく微笑む。 「いらっしゃい、神山君。ゆっくりしていってね」 「あわ……」 「おいおい、そんな幽霊を見たような反応すんじゃねえよ。どうだ? 似てたか?」 「え、えぇと」  さすが双子と言うべきだろうか、意識して表情を作ると非常にそっくりである。 「先輩行きましょう」 「おいおい冷たいなつぐみちゃん。もう少しお兄さんに付き合ってくれてもいいじゃねえか」 「行きましょう、先輩」  寺園さんはぼくの腕を掴んで引っ張った。ここから早く離れたい、という気持ちが伝わってくるようだった。寺園家に置いてもらっているということは何かしらの説明が大和さんからされたのだと思ったけれど、実際のところはどうなのだろう。  手を引かれながら大和さんを見ると、彼は少し寂しそうに陳列棚の球体関節人形を眺めていた。変わらない調子でにししっと笑っているのは空元気で、本当は無理をしているのかもしれない。 「先輩はあの人から何も聞いていないんですか」  案内されたのは寺園さんの部屋だった。初めて入る後輩の部屋。女の子の部屋だ。あまりじろじろ見るのはよくないだろう。しかし、初めての場所というものは興味をひかれるものである。  棚も、ベッドも、ぬいぐるみで一杯だ。とてもファンシーでとてもメルヘンな印象を受ける。カーテンや布団など、ところどころにフリルやレース、花柄があしらわれていてかわいらしい部屋である。そして、ぬいぐるみに紛れるようにして一体の球体関節人形が棚に腰かけていた。全体的に柔らかさを感じさせる顔立ちで、白とピンクをあしらったドレスを身に着けている。人形の腕には『つぐみちゃんお誕生日おめでとう』というカードが抱かれていた。  寺園さんは人形の金色の髪をそっと撫でる。 「あの人……大和さん、詳しいことは何も教えてくれなくて。先輩は何か聞いていませんか」 「詳細は何も。伊織さんを見送って、戻って来たのは大和さんだった。寺園さん、その、何と言っていいのか。ぼくは、きみに何て言うべきなんだろう。ぼくが、連れて行かなければ……」 「元の家族と会わせてあげたいって話を先輩に言ったのはわたしです。先輩が謝る必要はありませんよ。先輩は、わたしのお願いを聞いてくれただけだから」 「そういうわけにもいかないよ。ごめんね、寺園さん」  ごめんね、でよかったのかな。ぼくの謝罪を聞いて、寺園さんは申し訳なさそうに表情を歪めた。 「謝るのはわたしの方なんです。わたしが先輩を巻き込んだんです。わたしが……わたしが、お兄ちゃんを……」 「寺園さん」 「悔やんでもお兄ちゃんは戻って来ないので、先輩も思い詰めないでくださいね」 「寺園さん、無理はしないでね」 「……はい」  人形から離した手で涙を拭う。血が繋がっていなくても、寺園さんと伊織さんは本物の兄妹だ。ぼくは一人っ子だからきょうだいのことは分からないけれど、両親が突然いなくなって死んでしまったと言われれば悲しいし苦しいし、絶望してしまうかもしれない。  家族を失うことは、とても辛いことだ。ありきたりで簡単な言葉だけれど、それが一番合っているように思える。 「えっと、大和さんのことはどう扱ってるのかな」 「今はあの人の言う通りにするしかないので、表向きにはお兄ちゃんのふりをしてもらってます。お父さんもお母さんも、納得はしていません。でも、大和さんすごく必死にお願いしてて。何回も、何日も、ずっとずっと頭を下げ続けて。仕事の邪魔になるからってお父さんは怒るし、お母さんも不満を詠えたけど、それでも彼は諦めなくて。認めたというよりは、折れたって感じです。あれ以上謝ったりお願いされたりしたら、なんだかこっちが悪者みたいで気分良くないし……」  何か隠している気がするから、置いておけばそのうち教えてくれるかもしれないと寺園さんは続ける。大和さんが自らと同じ喪失感を抱える寺園家の人々に向かって「情報が欲しければ対価を払え」と言うとは考えにくい。何かを隠しているのならば、あえて知らせていないのだ。ワンダーランドに関することだろうか。 「先輩になら話してくれるんですかね……。何かあったら、教えてくださいね」 「うん。ぼくじゃ力不足かもしれないけど、学校で手伝えることとかあったら言ってね」 「ありがとうございます、神山先輩」  春休みまであと少し。気持ちの沈んでいる寺園さんが図書局内で困っていたら助けてあげよう。  他愛もない会話を少ししてから、ぼくは寺園さんの部屋を出る。一階に降りると、店のカウンターで大和さんが突っ伏して眠っていた。髪留めに留まっている蛾の飾りが空調の風に揺れている。触角のようにぴょんと跳ねていた部分は他の髪と一緒に束ねられているのか見当たらない。それが一層伊織さんに似ているように見せているのかもしれない。 「大和さん、店番中に寝てちゃ駄目ですよ」 「ん……」  声を掛けると、大和さんはゆるりと体を起こした。 「おぉ、つぐみちゃんとの秘密のお話は終わったのか?」 「あの……。何があったのか、言える範囲でいいので教えてくれませんか。どうして、伊織さんは……」 「めちゃくちゃ眠いし体が怠すぎてヤバい。アイツは何年もこの倦怠感と共に生きて来たっていうのか。すげえよ、尊敬する。この先俺も翅を毟りまくって体をぶっ壊して行くんだなと思うと怖くて堪らねえな」 「大和さん、ぼくの質問に答えてください」  青い左目がぼくを見上げる。寝起きなのも相まっていつも以上に視線が鋭くきつい。ちょっぴり怖い。けれど、ここで怖気づいてしまってはあまりにも弱すぎる。頑張れ、ぼく。 「それを知って君はどうする?」 「え……?」 「人の弟が死んだって話を詳しく聞いてどうするんだ? ページを捲る感覚で言われても困るんだよ」 「そんなつもりじゃ……。ワンダーランドで起こっていることを知りたいんです。伊織さんのことについてはぼくにも責任があるので、知ろうとするのは当然だと思います。……大和さん?」  大和さんは再びカウンターに突っ伏して眠ってしまっていた。翅のない状態にまだ体が慣れていないのだろう。今は伊織さん以上に寝落ちすることが多いのかもしれない。  仕方ない、日を改めよう。  立ち去ろうとしたぼくは、カウンターの上に置かれていた本に気が付いて足を止めた。文庫本が一冊、カウンターを這う長い髪に埋もれている。水色を基調としたエプロンドレスを纏う女の子が表紙に描かれている。  ワンダーランドからやって来た大和さんは、不思議の国の物語を読んで何を思うのだろう。芋虫の場面はもう読んだのかな。  ぐっすり眠っているようだし、お客さんが来るまではこのまま寝かせておこうか。また来ますねと声を掛け、ぼくは寺園人形店を後にした。
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