【二十五冊目 装う者の話】

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【第二百十四面 皆勤してみせます】  後日、ぼくは改めて寺園人形店を訪れた。伊織さんばりの穏やかな笑顔を湛えながら出迎えてくれた大和さんは、ただ一言「時が来れば言う」と答えた。寺園さんの言う通り、何かを隠しているようだった。カウンターの上には相変わらず『不思議の国のアリス』が置かれていて、丁度真ん中あたりに栞が挟み込まれていた。  大和さんの言う「時」はいつ来るのだろう。 「神山君。……神山君!」 「はぅあ……っ!?」 「おぉ、びっくりした。そんなに驚かれるとは思いませんでした」  いつの間にかぼくの背後にいた男子生徒は、少し困ったように言う。 「何か考え事ですか?」 「う、馬屋原君」 「考え込んでいても構いませんけど、そんなところに立ち止まっていたら邪魔になるので避けてもらえますか」  生徒会長の馬屋原颯真は呆れた表情を浮かべ、ドアの上に掲げられている『3年3組』の札を指し示す。ぼくの教室……否、ぼく達の教室である。 「そこに立っていられると教室に入れないんですが?」 「ご、ごめん。ぼんやりしてた……。ごめんね」  ぼくはリュックを背負い直して教室に入る。新年度が始まって数日、新しい教室にはまだ慣れていなかった。  新しいクラス、三年三組。相変わらず璃紗と琉衣が一緒なのはありがたいし、担任も村岡先生なので安心できる。それでも、三年生になって初めて同じクラスになる人もいるため、もう少し頑張らないと耐えられそうにない。生徒会長が近くにいると思うと、なんだか緊張してしまいそうだ。 「おはよう神山君」 「お、おはよ……」  リュックを下ろすぼくに、亀倉さんが声を掛けてくれた。まだ席替えなんてしていない教室の座席は出席番号順で、ぼくのすぐ後ろは亀倉さんの席だった。同じクラスになるのは初めてでも、顔見知りの人はいる。ここはもしかしたら学校側の配慮なのかもしれないし、単なる偶然なのかもしれない。  ぼくに続いて教室に入って来た馬屋原君が隣の席に座った。「う」と「か」なのだから、出席番号で並ぶと近くになるよね。ちょっぴり苦手なんだよな……。 「神山君今日は一人で来たの?」  窓側の席、すなわち出席番号後半の面々が座っている方を見て亀倉さんは言った。璃紗と琉衣はそれぞれの席で本を読んだり絵を描いたりしている。 「うん、璃紗が委員会の仕事があるって言うから……」  おそらく、馬屋原君がぼくの後ろからやって来たのもそのことが関係していると思う。大方後片付けと次回の準備をしてから教室に戻って来たのだろう。  亀倉さんは読んでいた本を閉じた。表紙には『痴人の愛』と題が書かれている。日本の昔話が好きで、読むのはそればかり。図書局で活動することで色々な本に触れるきっかけになるといい、と彼女は以前言っていた。 「色んな本、読めてるみたいだね」 「これ? お姉ちゃんに借りたんだけど、あたしにはまだちょっと難しいかな。でも最後まで読むよ。難しいし大人な感じだけど、面白いからね。それはさておき……。生徒会と委員会の会議があったってことだよね。それって、こっちにも来るやつなんじゃないのかな……?」 「こっち?」  机の上にプリントが一枚滑って来た。 「クラスメイトですし、席も近いので渡しておきますね。ご確認お願いします」  プリントから手を離し、馬屋原君はそう言った。『新入生の部活動・外局勧誘について』と記されている。なるほど、こっちに来るとはそういうことか。  ひと仕事終えた様子の生徒会長は、眉間に皺を寄せる図書局長に「よろしくお願いしますね」と告げて別のプリントの整理を始めた。新学期が始まって少し経つけれど、彼はよくプリントの確認をしている。忙しいんだろうな、生徒会長というのは。 「亀倉さん、ぼくにできることがあったら手伝うからね」 「ありがとう神山君」  今年はどんな一年生がやって来るのだろう。そんなことを考えていると、ぼくもすっかり学校に馴染んだなと感じる。  ぼくはちゃんと前に進めている。頑張ろう。怖くない。行こう。大丈夫だよ、ぼく。  放課後、ショートホームルームを終えて教室を出ようとしたぼくは村岡先生に呼び止められた。 「神山君、どうかな? 学校は」 「もうすっかり慣れました。色々ありがとうございます」 「ううん、先生はそんな……。私がもっとしっかりしていれば、あんなことも」 「また来られるようになったのも先生の対応のおかげなので」 「……困ったことがあったら、すぐに言ってね」 「はい。今年は皆勤してみせますよ!」  先生に軽くお辞儀をして、ぼくは教室を出た。廊下で待っていた璃紗が読んでいた本から顔を上げる。 「皆勤とは大きく出たねえ」 「ちょっと盛りすぎたかな」 「いいと思うよ」  ぼく達は並んで歩き出す。  廊下には生徒達の声が溢れている。かつてのぼくは、その喧騒が怖くて怖くて仕方がなかった。制服の袖に腕を通そうとするだけで拒絶反応が出るくらいだった。周りはもう一度踏み出す手助けをしてくれた。それでも、あと一押しが足りなかった。  ぼくを変えてくれたのは何だろう。  あと少し足りなかった勇気をくれたのは、きっと……。 「有主、おまえここ最近気が付いたらぼーっとしてるよな」 「うおわぁっ!?」  にょきっ、と視界に琉衣が飛び出て来た。 「どどどどこから出て来たんだよ」 「さっきからいるけど。……なんだぁ? おまえ璃紗ちゃんしか見えてないのか?」 「あばばばば、違うです。確かにぼんやりしていたので見えなかったですよ」 「いや動揺しすぎだろ」 「有主君大丈夫?」  ぼーっとしている、か。  その自覚はあった。足りていない。今のぼくには、ワンダーランドが足りていなかった。行かない日常に慣れたつもりでいたけれど、きっと無理をしていたんだと思う。新年度になった辺りで溜め込んでいたものが爆発した気がする。  今、向こうはどうなっているんだろう。姿見に飛び込もうとして、やめて、やっぱり潜ろうとして、我慢して。  早くあのページを捲りたい。でも、耐えないと。 「ちょっと元気ないかもしれない」 「よーし、じゃあ今日は喫茶店に寄って行こうぜ。お菓子食べれば元気になるさ」 「えっ。ぼく今日財布持って来てない」 「オレの奢りだ。好きなものを頼むといいぞ。わはは」  高らかに笑って、琉衣は足早に玄関に向かって行った。 「琉衣君、美千留ちゃんに絵を褒められたんだって。たぶん自慢話と妹への愛を延々と聞かされるよ」 「うわぁ……。でも、奢ってもらえる機会を逃すのは惜しいね……」 「行こっか」  璃紗が琉衣を追う。置いて行かれないように、ぼくもすぐに後を追った。
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