457人が本棚に入れています
本棚に追加
冴木という弁護士は冷ややかな目で花を見下していた。そして感情の無い質問を投げかけた。
「彼は一人になることを恐れていましたか?」
「はい」
「彼は普段からそばにいる男性に依存する傾向がありましたか?」
「いえ、そうは思いません」
「思わない? 根拠は?」
「言い直します。依存はしていませんでした。ちゃんと自立していました」
「でも、事件後の彼は人が離れることを嫌がっていましたね?」
「はい」
「面会に行ったあなたにそばにいてくれと願った。つまり自分を分かってくれるあなたのような存在にそばにいて欲しいと強く願っていた。そうですね?」
返事の仕方に詰まった。どう答えれば不利にならないのか。
「答えてください、彼は一人になることを恐れてあなたの存在を求めていましたか?」
「はい」
「つまり、彼が強く望んだんですね? そばにいてくれと」
「はい」
「あなたは被害者の仕事上のチーフだと伺いました。誰よりも被害者を知っている、先ほどそう言っていましたね」
「はい」
「同僚という枠を越えてのつき合いがありますか?」
誤魔化すところじゃない。真っ正直に答えればいいことだ。
「はい、友人としてもつき合っています」
「関係はそれだけですか?」
ちらっと向けた笑いに含まれているものの正体にすぐに気づいた。友人以上の気持ちを持っていたのではないか、ということだ。
「質問の意味が分かりません」
「失礼ですが、証人になられているのであなたのことも調べさせていただきました。高校生の時に暴行事件に遭われてますね」
(え?)
頭の中は固まり、けれど口は機械的に動いた。
「はい」
(なに……? なにをこいつは聞いてるんだ?)
花の脳裏におぞましいものが這い上がってくる。
「そういった犯罪についてどうお考えですか?」
西崎が慌てた。
「裁判長。弁護人は本件と関りない件について質問しようとしています」
「弁護人、この質問は本件に関係がありますか?」
冴木は冷たく笑った。
「これからの質問で証人と被害者の心因的な結びつきについて明らかにします。それによって証人が『敵意を持った証人』であると証明いたします」
『敵意を持った証人』。そういった証人に対しては正式に誘導尋問が許可される。誘導尋問の与える効果は大きい。
「質問を続けてください」
裁判長の許可が出た。
「もう一度質問をします。こういった犯罪についてどうお考えですか?」
花は深呼吸をした。
「あってはならないことだと思っています」
「当時の犯人は刑期を終えて社会に復帰していますが、罪を償った今でも犯人が憎いですか?」
花の頭の中が真っ白になった。確かに長い年月が経っている。出所していても不思議ではない。だがそれを知るのと知らないのでは大きな差がある。
(考えるな、今はジェイのことだ!)
花の意地が勝つ。
「憎いです、大人じゃありませんでしたし。そういった犯罪が自分の身に起きると思ってもいませんでしたから」
「そうですか。今、あなたの目の前に現れたらどうしますか?」
「裁判長! 証人を不当に辱める質問を撤回することを求めます」
「認めます。証人の事件に対する質問が多すぎます。要点をまとめて本件へと結びつけてください」
「承知しました。宗田さん。拉致、誘拐、暴行。これが当時のあなたの受けた被害ですが、今回のジェローム・シェパード氏の告訴内容と重なっていますね。あなたにはこの裁判は友人の裁判であるだけではなく、自分の受けた過去の傷跡に対する復讐ともなっているのではありませんか? それがあなたと被害者の関係を普通より密接にしていませんか?」
花の頭の中が目まぐるしく働く。目はぴたりと相手の弁護士の目を捉えたままだ。
(どうしてもそっちに話を持って行くつもりか?)
「確かに似たような犯行状況です。自分の時を思い出さないと言えば嘘になります。ですが、今回の事件はジェロームの事件であって、私が自分のことを持ち出すのは筋違いだと思っています」
「ずい分冷静なんですね」
「冷静であろうと努めています。友人で大切な部下です。だからこそ彼の受けた犯罪に集中して考えてきました」
裁判長は、花が敵意のある証人だと決めるには至らないとの判断を下した。だが、花の存在と行為は、ジェイの求めるものの位置づけをしてしまったような気がしてならない。
あれだけのショックを花に与えておきながら、冴木はやることはやったという顔だ。多少花がジェイ寄りの発言をしても、その発言力は弱いものとして残るだろう。
(俺の敵はいったい誰なんだ?)
これはジェイの裁判なのに自分まで裁かれているような気がしてくる。柿本が耳元で言った『僕の花』というおぞましい言葉が、たった今のことのように頭の中でぐわぐわと反響している。
「入院していた彼は、面会時間が過ぎてもあなたが帰るのを拒んだそうですが、普段から周りの男性に甘える傾向がありますか?」
「甘える? 彼は22歳で入社して1年も経っていません。まして家族がいない身の上です。年上に対して甘えると言う感情に近いものが生まれたとしても不思議じゃないです」
「職場にはあなたのような頼もしい男性同僚が多いようですね。そして事件で混乱している彼が求めたのはあなたにそばにいてほしいということだった。間違いありませんね?」
(何が聞きたいんだ? こいつ。今の質問は当たり前のことを聞いてる。どこかに落とし穴があるのか?)
花はまだ混乱している。聞き漏らしたつもりはなかった。曲解したつもりも。男が多い職場だということは、花にとって不自然でも何でもない。当然周りに助言を求めるならその相手は男性になることが多い。自分たちが頼りにする女性となれば、三途川しかいない。
(時間を空けちゃまずい)
最初のコメントを投稿しよう!