第五話 或る聖人の最期(1)

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第五話 或る聖人の最期(1)

 シャングリラヤードに突如として現れた木の城。最上部では、リリーベルが黒ずくめの男に囚われていた。 一発逆転を狙う黒ずくめの男は、戦い傷ついた猿人型のモンスター・エンキの登場を今か今かと待ちわびていた。 「もう、そろそろね」  繭玉に閉じ込もり、傷を癒やしていたエンキの胎動が始まる。ドクッドクッとゆっくりと脈を打ち始め……ついには、繭玉にピキピキと亀裂が入り始める。繭玉を構成していた糸は、パキパキと音をたてて割れ、やがて……こぼれ落ちる羊水と共に中身が明らかになってくる。そして、中から一体の猿人が繭玉からこぼれ落ちた。  ウッと眉間にシワを寄せ不快感を顕にするリリーベルをよそに、黒ずくめの男は狂気にも似た歓喜の声を上げた。 「さあ……これで、準備は整ったわ。見せてあげる。馬鹿なアンタ達にも分かる地獄って世界をね!!」 のっそりと立ち上がる猿人を見て、リリーベルは思わず顔を背けた。 「早速だけど……分かってるわよね?」  黒ずくめの男のこの言葉に、猿人はリリーベルに目をやる。目が合うなり、リリーベルは一瞬たじろいだが、猿人を頑張って睨み返す。だが、己の意思に反して涙が止めどなく溢れ……ボクは、もう駄目なのか? ここで、今迄大事に守ってきた乙女と共に人生終わっちゃうのかな?……と、絶体絶命のピンチを迎え、心が折れかけてきているのが分かった。やっぱり、諦めたくない! けど、どうすれば?……と、リリーベルは泣きながら考えを巡らせる。 「あら、 泣いてるの? カワイイ」  黒ずくめの男にからかわれ、リリーベルは嗚咽を吐きながら、泣いてなんか、泣いてなんか……と精一杯の虚勢を張る。 「――と、言う事でいいかニャ?」  木の城に向かって、バギーは土煙を上げて疾走していた。ハンドルを握るミオナと、緊張した面持ちで荷台に乗るユアンとニケ。三人(?)は、リリーベルを救出する為の打ち合わせの真最中だった。 「突入のタイミングはいつにするよ? このまままごまごしてると、助けれるものも助けらんなくなっちゃうよ」 「――かと言って、このまま突っ込めば返り討ちは必至ッスよ。出来れば、奴らの不意を突いた状態がベストなんスけど……何か、いい方法は無いもんかなぁ?」  うーん……と、考えを巡らせる三人の前に、アーバンフットの小さなオジさん達が、木の城の壁の前でスクラムを組んでいるのが見えた。体が比較的大きいオジさん達数人が肩を組み、その後を次々と小さいオジさんらが、フックの付いたロープや梯子を持って待っている。一見、献身的で美しくも見える光景だが、見方を変えれば、只の押し込み強盗にも見えなくもない。 「パイセン、パイセン!」  ニケの指す先の小さいおじさん達を見て、ミオナは……うん! アレがいいねと即答する。 「ちょ……使うって、先輩まさか――」  そのまさかだよ、フフフ…と笑うミオナ。愛らしい笑顔とは対照的に目は全く笑っていない。 「クラーウチ!!」  リーダーらしき男の掛け声と共に、アーバンフット達が、お互い肩を強固に組み、木の城の壁面を前に跪く。 「アンタ! 本気で言ってんの!?」  木の城の最上階では、黒ずくめの男が声を荒げる。  繭玉より出て来たばかりの猿人が、自分の意に反して、リリーベルを襲うのを拒否した為であった。 「貴方に命を助けてもらった事は感謝している。だから、もう……この辺で勘弁してくれないだろうか」  猿人は、黒ずくめの男を諭すような口調で語り始めた。  本来、エンキと呼ばれるモンスターは、集団でこそ力を発揮するもの。個体がいくら進化を促す繭玉の力を使って強くなったとしても、数が揃わなければたかが知れている。だからエンキは、人間の女子供をさらって猿の数を増やし、自分達の身を守ることに執心するのである。  それよりも、リリーベルが心底驚いたのは、目の前に立つ猿人が人の言葉を理解し操っている事だった。  いくら魔法の力を使ったとしても、たかだか体が大きくなったりだとか、特定の部位が異常進化するなどの程度。人の言葉を操れる程の知性を、短期間で得るまで進化する事は、本来考えにくいし有り得ない。この個体が持つポテンシャルだったと考えたしても、やはり何処か無理がある……どちらかというと、進化したと言うより、無理矢理させられたといった感が強い。 そんな違和感をリリーベルが抱きつつも、猿人は持論を展開させる。 「私はただ、静かに暮らしたいだけなんだ。誰にも迷惑をかけずに、ひっそりと――」 「それを追い求めた結果、たくさんの罪の無い女子供を辱め、善良な人々の住食を奪い去った。ここ迄悪辣非道な行いを散々やってて、今更聖人ヅラなんか出来るもんかねぇ?」  そ……それはと、猿人が返答に窮すると、黒ずくめの男はスキを狙って、懐から注射器のようなものを取り出してプスっと猿人の胸に指した。 「な……何を――」 「アンタの意見なんて聞いてないの。アタシはただ、サッサと猿の数を増やして暴れてこいって言ってんのよ!」  グアア……と苦しむ猿人。早く、強く胸や頭を鼓動が乱れ打つ。血液と不快感が体中で暴れまくる。次第に体の感覚が奪われ、猿人はその場で崩れた。 「アンタもアタシも、生き残るんだったらこれしかないのよ。これが……名前すら与えられなかった、アタシ達の出来る唯一の正義ってヤツなのよ」   猿人は薄れゆく意識の中で、今まで生きてきた軌跡が走馬灯のように頭を駆け巡った。    猿人は、エンキ達がいる森の中ではなく、とある軍事施設の実験場にて生を受けた。体には名札のような板切れを縫い付けられ、物心がついた頃には、檻のようなガラス張りの部屋で過ごすしていた。  白い壁に囲まれた箱庭で、白衣姿の研究員達を親と思い育った猿人は、これといった疑念を持たずにすくすくと成長。自分の意思で外に出れない不自由はあるものの、それなりに幸せな日々を送っていった。   だが――別れは突然に訪れた。   鉄兜を被り、マスクを着けて完全武装した軍服姿の男達が突如施設に侵入。研究室に入ってくるなり、次々と白衣姿の研究員達が殺されてゆく。ある者は銃弾の的になり、またある者は、血に飢えた凶刃の餌食に。白衣姿の研究員達がいなくなったと見るや、完全武装した軍人達は、今度は実験室にいたエンキ達を次々と殺していく。声にならない叫び声を上げながら絶命していく仲間達。一際体の小さかった猿人は、研究員の機転によりベッドの下に隠れて何とか難を逃れたが、幼いなりにも猿人にとって、親と思っていた人間達や、直接触れたことの無い仲間達が突然現れた男達に次々と殺されてゆく姿は……まさにトラウマ級の地獄絵図だった。   この後、完全武装した軍人達は施設に火を放った。燃え盛る熱気と煙が充満する中、幼き猿人は命からがら施設から飛び出した。   それからの生活は、想像を絶する程の苦しくひもじい生活だった。生き方を知らない幼き猿人は、食べ物を盗み、時には人々を傷つけ、世間から身を隠しながら生きてきた。気付けば、お尋ね者として人々に追われる生活を余儀なくされていた。 (本当に……この世界に神様が居るのであれば、どうか……どうか私を、助けてください!!)   傷付き追われる生活に疲れ、生きるのを諦めかけたその時――猿人は、黒ずくめの男に出会ったのだった。 「くそっ! 離せ、離せ!!」   正気を失った猿人に押し倒され、上に乗られた状態のリリーベル。ジタバタと必至で抵抗するも、両手足を拘束されているせいで上手く逃げられない。猿人が、リリーベルの両腕の拘束具をぐっと掴み上げると……リリーベルと猿人との顔の距離が一気に近付く。 「や……やめ、てぇ――」   猿人の涎がダラダラとリリーベルの顔や体に容赦なく降り注ぐ。ヘドロのような不快な液体と、吐き気をもよおす悪臭に晒され、リリーベルの抵抗が次第に緩んでくる。猿人はそのスキに、リリーベルの首に手をかけゆっくりと締め上げる。 「グッ……かは――」   息が出来ず藻掻き苦しむリリーベル。意識が次第に遠くなり、抵抗する力が徐々に弱まってくる。ジタバタと懸命に動かしていた手足も、やがて動かなくなっていった。最早抵抗が出来なくなったと見るや、猿人はリリーベルの下着に手を掛ける。 (ううっ、お母さん……)  リリーベルが目を閉じ、諦めようとしたその刹那――。     ズウ――――――――――ン!!!   低く響く音と共に、グラグラっと地震のような揺れが来た。リリーベルの首に手を掛けていた猿人の動きがピタッと止まる。 「何!? 何なの?」   黒ずくめの男が慌ててバルコニーへ行き下を覗くと、小さいおじさん達がスクラムを組んで木にぶつかっている。 「ちょっと! 何やってんのよ!!」   お? と、黒ずくめの男に気づいたアーバンフットのオジさん達は、下からやいのやいの言っている。俺の家が下にあるんだとか、こんな所に勝手に家建てやがって! 家賃払えだの……とにかく一斉に好き勝手に喋るため、黒ずくめの男は、何を言ってるか聞き取れない。 「一遍に喋ったら分かんないじゃないのよ! 一人ずつ喋りなさ――」  黒ずくめの男が、下のおじさん達に気を取られた瞬間――男の左腕が、一陣の風が吹き抜けると共に宙を舞った。 「え?……ウソ!?」   血煙が舞い上がり、ゴロッと地面に転がる左腕。突如襲われた激痛に、黒ずくめの男は獣のような叫び声を上げ腕を庇う。それと同時に、ユアンが部屋に飛び込んで来た。 「え!?……メガネくん?」   気が付けば、諦めかけたリリーベルの目の前にユアンが立っていた。銀色に怪しく光る短剣を携えた姿を見て、リリーベルは、助かった……と、安堵感が溢れ出る。 「待たせてすまない! 今、助け――」   ユアンがリリーベルに目をやると……猿人に乗られ、下着姿で涙を流す姿。その姿を見て、ユアンは怒りを顕にした。 「俺の大切な……許さねぇ!!」   怒りに任せ猿人に刃を振るうユアン。それを察知したのか、猿人は間一髪の所でリリーベルからサッと飛んで離れた。 「リリー!!」   ユアンはリリーベルに駆け寄り、手足を拘束してた器具を剣で叩き割った。ようやく手足の自由を手に入れた安心感から、リリーベルの顔がクシャっと崩れる。 「ボク……ボク――」   ユアンはリリーベルの肩をそっと抱き寄せた。仲間を危険に晒した自身の至らなさに反省をしつつ、何とか無事で生きていてくれたリリーベルに心からの感謝が、無意識のうちに起こした行動だった。リリーベルは、最初は躊躇したものの、導かれるようにユアンの懐に顔を埋めた。 「先輩とニケが待ってる。さあ、帰ろう……」   リリーベルは小さく頷いた。普段は舐められないように虚勢を張って生きている少女からは、想像も出来ないくらいにしおらしい。今度から、ちゃんと守ろう……そう決心を固めたユアンなのであった。 「アンタ、どうやってここに入って来たの!? まさか……鳥でもあるまいし、空を飛んでなんて――」 「そのまさか、だ!」   ユアンの発言を受け、黒ずくめの男はハッとした。    この地域は、元々魔力の源であるエーテルが存在しない地域。入り口さえ高い所に設置していれば、魔法の使えない下等な連中は何も出来ないだろうと高をくくっていた。だが、結果として……その魔法の力を利用して、メガネの青年が目の前に立っている。この木の城は、エーテルドライバーの力を利用して動かしているが、エーテルを使用して自走させている関係上、木の城の周辺だけはエーテルが充満し魔法が使う事が出来る。   この事を知っているのは、自分と同じ魔法を嗜む連中。と、言う事は……と、黒ずくめの男が下を見ると、バタバタに乗ったミオナとドヤ顔したニケがいた。 「まさか、こんな所に魔法を使える奴がいるなんて……誤算だったわ」  黒ずくめの男は、振り返るなりユアンをキッと睨む。 「徒に命を取るつもりはねぇ。降参するなら――」 「舐めないでもらえる? ちょっと上手く行ったくらいでさぁ!」   黒ずくめの男の言う通り、肝心要のリリーベルの救出は成功した。だが、猿人と黒ずくめの男に囲まれ、ピンチな状況になってるのも事実。自分だけで対応するならまだしも、今は下着姿で丸腰のリリーベルが傍らにいる。俺は、一体どうすれば……と、ユアンは双方に気を配りながら考えを巡らせていた。   黒ずくめの男が顎をしゃくりあげると、呼応した猿人が勢いよくユアン目がけて飛びかかる。 「ユアン! 右!!」  リリーベルがユアンの後に隠れながら叫んだ。一瞬反応が遅れたユアンに、一抹の不安がよぎる。 (第五話・つづく)
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