無国籍の告白

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ロランド医師は街の壁沿いを歩き、電灯のない所で足を止め、空を見上げる。 冬の空は透き通り星が綺麗だが、50歳手前の身体にこの寒さは応える。神と呼ばれた手を擦り、息を吐きかけ、染み込ませるようにまた擦り合わせる。 生きた体温に涙が出そうになった。 もう一度手のひらに息を吐きかけ、「もう少し待ってみよう」と本音を零す。 そして、視界の隅に青年がチラついた瞬間、本音は握りこぶしの中で消された。 「また来たのか、ディック」 本心とは真逆の声色が息をするように出た。 「こんばんは、ダンディーなドクター。凍える夜を僕と温め合いませんか?」 微笑んだディックは口説き文句と頭を垂れた花束をロランドに差し出す。嫌な話題の多い最近の新聞紙に包まれた一輪の花には泥が付着している。 「──きです」 いつも唐突だ。 ドイツ人のディックの愛の告白は、冷静で知的なドイツ人のそれとは違う。だが、ラテン系の情熱さとも違う。ヨーロッパ人なのにその特性を纏っていない。 そして、聞こえているのに聞こえない。 否、聞いてはいけない。 受け入れてはいけないのだ。男から男への告白にロランドは精神的なミュートをかける。空気中に浮く「好」「愛」の淡い言葉は行き場をなくしている。 「──きです。──していますロランド医師。もう──しすぎて胸が裂けそうだ」 国籍不明の何度目かの告白に、ロランドは白い息を天に吐いた。 「私は名医と呼ばれたが、流石にその胸の苦しみを取り除く術は知らない。勿論満たしてあげることもできない」 ロランドは手を翻してディックを追い払おうとするが、ディックは距離を詰める。 「逃げないで。僕を見て。素直になってください」 「まったく、困ったな」 拒まなければならないと、ロランドは俯く。それを察してか、ディックが俯いたロランドの顎をとり、愛をたたみかけた。 「──きです」 本日何度目かの告白はロランドの背後の壁に吸いこまれる。何度も無国籍な告白を囁きながら、ディックの泥だらけの指は深くなったロランドのほうれい線をなぞる。 「帰りたまえ。私は散歩の途中だ」 「嘘だ。ここで僕の事を待ってくれていたのでしょ?」 ロランドの顔が燃えるように赤面する。カッと音が聞こるようだった。
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