流れるプール

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流れるプール

 更衣室を出てロビーに並ぶ自販機の前に立つ。さして寒いわけではないが、温かいコーヒーを買った。彼女が出てきたら、どのみちアイスを買うことになる。今のうちに、体を温めておきたい。  周りにはカップルよりも家族連れの方が多い。子どもが足元を走り回り、父親が両手に浮き輪を抱えて追いかける。浮き輪が転がって、とあるカップルの男の足に当たって倒れた。男が拾って渡すと、二十以上は離れているだろうに、すいませんすいませんと頭を下げ、追いかけっこの続きを演じる。  カップルが別れずにそのまま一緒にい続けると、いずれこうなるのか、と他人事(ひとごと)のように考える。コーヒーの缶を開けた。  付き合い始めてもうすぐ五年、僕の方は間もなく三十になる。この歳で休日に市営プールもない。去年やった大病の手術跡を見られるのも嫌だが、連日連夜の付き合いでたるみ切った腹回りを見られるのは、もっとつらい。かつては割れていた腹筋はどこへ行ってしまったのか。 「シックスパックじゃなくてワンパックだね」  彼女は僕の腹に手を当てて無邪気に笑うが、その笑いの振動で震える脂肪の持ち主としては、笑う気分にはならない。  彼女は若い。出会った頃は短大生で、今でも二十四歳。会うたびに衰えていく僕と違って、彼女の体はいつも若々しさではちきれそうになっている。 「年なんて気にしてもしょうがないよ。十年たったら、わたしも同じだって」  彼女の想像は、十年の時間を簡単に飛び越える。流れるプールに逆らって泳ごうとする僕の横を、ビニールのボートに乗って悠々と流れながら。  時計を見ると、僕が出てきてから十分。残り少ないコーヒーを一気にあおる。すっかり冷めている。もうすぐ彼女が出てくる頃だ。ゴミ箱に缶を投げ入れた。  このまま、先に帰ってみようか。そうすれば、彼女も自分の想像した通りに時間が流れないということを知るだろう。現実は、流れるプールのようにはいかない。
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