雨の夜

10/12
1716人が本棚に入れています
本棚に追加
/45ページ
駅のコンコースを出ると、皮肉なことにあれほど降っていた雨はすっかり止んでいた。 マサくんは二本の傘を持ってくれようとしたけれど、私は差し出されたその手に自分の手を重ねた。 「私、岡崎さんが傘を持っていなかったから、貸そうとしただけだったのに」 「うん。」 「後から迎えにきた奥さんが誤解して」 「うん。」 「傘渡しただけで、『寝取るつもり?』なんて言われて」 「……うん。」 「奥さん、よっぽど旦那さんのことが好きなんだね。」 「サユさん、ほっぺ痛かったでしょ?」 「……今も痛いよ……」 頬じゃなくて胸が痛い。 どうして旦那さんへの華絵さんの愛にだけは、『うん』って言ってくれないの? どうして華絵さんは私が旦那さんを寝取ると思い込んだの? 仕返しって何? マサくんは何を口止めしたの? どうして? どうして? 胸の中に【どうして?】が溢れて、張り裂けそうで痛い。 それなのに、マサくんは【どうして?】を追加した。 「僕のこと、殴っていいよ。」 「どうして?」 「二年前、華絵さんを抱いた。」 握られていた手を放されると、私たちは並んで歩いているだけの他人みたいだ。 ううん。手を繋いでいても、ずっと裏切られていたんだ。それって他人の方がまだマシなんじゃない? 「酔った勢いで一度だけ。ごめん。」 マサくんの【ごめん】が頭の中をすり抜けていった。 心を置き去りにして、足だけが家へと向かっていく。 でも、そこはもう私の帰るべき家じゃないような気がした。
/45ページ

最初のコメントを投稿しよう!