冬の朝

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マサくんは私の手を握って、南口の少し寂れた商店街に入って行った。この先に健診センターがあるらしい。 中絶のことや体形の悩みが頭をかすめたせいで何となく無口になっていたけれど、マサくんも黙ったままだ。 岡崎夫妻と別れたら、どういう人たちか説明してくれると思ったのに。 「奥さん、マサくんの教育係だったって言ってたけど、夫婦で同じ支店だったの? 岡山支店で一緒だったんだよね?」  「うん。うちの会社は社内恋愛・社内結婚がバカみたいに多いから、同じ支店に夫婦がいるのなんて珍しくないんだ。さすがに部署は違うけど。岡崎さんと奥さんの華絵(はなえ)さんは今も同じ川崎支店で働いてるはずだよ。」 「ってことはマサくんは奥さんと同じ部署で、旦那さんとは違ったの?」 「うん。ご主人の方とは挨拶する程度しか話したことなかった。」 奥さんとは金曜の夜に一緒に飲みに行く仲だったのに? 私も複雑な気持ちだけど、旦那さんはもっと複雑じゃないかな? 「あ! 赤ちゃん、いくつですか?って訊けば良かった!」 「ベビーカーに乗ってるんだから二歳以下だろ。」 マサくんにしては素っ気ない言い方にギクッとした。 私が中絶したいと言った時から、私たちの間で子どもの話題はタブーみたいになっている。望まない妊娠をするのが怖くなったから、あれから私はピルを飲み続けているし、マサくんもダメ押しのように避妊具を欠かしたことがない。 あの時マサくんは、自分との子どもを私に拒絶されたと思ったようでショックを受けていた。若かったし、子どもを産み育てるお金がなかったから納得してくれたみたいだけど。 意地になったように中絶費用を工面してくれたマサくんには、どんなに感謝しても足りない。 私には彼にどうしても言えない秘密があるから。
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