御蔵様の木桶

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御蔵様の木桶

 S君の実家は山形の山間部にある。  かつてその地方の庄屋として隆盛したそうで、大きな屋敷を構えていたという。ただ、屋敷の造りが少々奇妙だったらしい。  本来なら家主の住む母屋が一番大きく造られるはずだが、その屋敷で一番大きくて立派だったのは蔵であった。  なかでも一際大きな蔵を『御蔵様』と呼び住人は大切に奉っていたそうだ。  旧盆の入りになると親族たちも集まり、御蔵様の中でお坊さんをお招きして念仏を唱えてもらう。  御蔵様の周りにはきゅうりの馬やナスの牛が用意される。  初めてS君が御蔵様の儀式に参加したのは、小学校生の時だった。  左右の大きな壁には、S君の身長よりも大きな木桶がずらりと並べられている。 「右側にも左側にも、何段もね」  古いものでは何百年も前に作られた物もあり、文化財としてとても価値のあるものだと親戚が言っていた。  まだ小さなS君は大きな木桶にはしゃいだが、すぐに大人たちにたしなめられたという。  左側の木桶は蓋が開いており、大きく真っ暗な内部が黒い空洞を覗かせていた。  一方右側の木桶には蓋がされており、そのうえにいくつも重そうな石が置かれお札が貼られている。  S君はふと、儀式の最中に蓋をされた木桶から黒いものがはみ出すのを見たらしい。  影のようでもあり、粘度のある水のようでもあった。  それはずずずっ、と地面を這うようにして母屋のほうに向かっていく。そのことを両親に告げても「見間違いだろう」と否定されるだけであった。  屋敷にはお盆の明けまで滞在しないとならない。  S君は母屋の中を歩き回り、先ほど見た影のようなものを探した。  それは、仏間で正座をしていた――ように見えたらしい。すぐに祖父が来て言った。 「夕方には太陽が傾くけ、こんな風に影が出来る」  優しい物言いだったけれど、S君はそのまま手を引かれ仏間から連れ出された。  お盆の明けにまた御蔵様の中で儀式を行ったのだが、大人たちの顔色が優れない。  お供え物を数えては「足りない」と口々に言い交していた。  結局都会に帰る親族たちには、なぜかお土産にと立派なナスが配られた。 「最近になって知ったんだけどさ」  話し終えたS君が、少し間をおいて呟いた。 「あの家には、代々の先祖が入るお墓が無いらしくて……」  御蔵様の中には何があるのかは、未だに聞けないのだという。
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