聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

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 昭和十六年十二月八日、聖母無原罪懐胎の祝日に、太平洋戦争が始まった。隆は、日本学術振興会議放射線委員会に属し、徴兵を免除されたが、結核予防のための集団レントゲン検診とその研究という新しい仕事を受け持つことになった。  戦局が悪化するにつれて次々に物理的療法科の教室員を兵隊に取られ、隆は多忙を極めた。診察、ラジウム治療、医科大学および臨時医学専門部の講義、諸々の研究と、数人分の仕事を捌いた。集団検診においては、フィルムや現像薬は配給で賄えず、撮影でなく直接透視によらざるをえなくなり、レントゲンの直光を浴びて認容量より遥かに多い放射線を受けつづけた。長崎への空襲が始まると、負傷者の手当も加わり、さらに疲労疲弊していった。  緑は、浦上地区連合婦人会の職務――戦時公債募集、貯蓄演説、共同防空壕の掘削、空襲時の消防や救護や炊き出しに老人や子どもの避難の世話、軍隊からの命令による要塞の陣地構築等々――を会長として果たした。銃後の守りを固めながら畑を耕しつつ、家族や親戚や隣人の防空服を縫い、毎日忙しく働いた。暇を見つけては、夫が博士号を取得するに至った主論文「尿石の微細構造」を解せぬままに読んだ。     
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