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昭和二十年六月、痩せこけて腹だけが妊婦のように膨れていた隆は、散乱放射線過量照射による慢性骨髄性白血病および悪性貧血、余命三年、と自らを診断した。緑は、その事実を告げられた日、隆とマコトとカヤノが賑やかに五右衛門釜の風呂に入っていたときに、くべた薪の煙に巻かれるままに涙を流した。梅雨晴れの候の夕日を浴びた金比羅山の緑が、あらゆる暖色を帯びて燃えていた。
緑は、三年あればまだ一つや二つは研究ができるはずだと、心をつくした愛情を注いで夫を労わった。努めて朗らかに働いた。隆は、流石に殉教者となった潜伏キリシタンの帳方の末裔の女だと感心し、寝た切りになるまで長崎医科大学において仕事ができると安心した。病勢は日を追い強まっていき、杖をついても歩行がままならず、妻に背負われて出勤する日も少なくなかった。緑は、浦上が空襲を受けるたびに、不治の病を患った夫の身を案じ、必ず大学病院まで駆けつけた。
昭和二十年八月八日、隆は起床してからずっと考え事をしていた。うっかり靴と入れ替えに弁当を仕舞って出勤したので、昼飯を抜くはめになり、大学病院の防空当番であったために宿直室で夜を明かした。
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