聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

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《右のこめかみの大きく割れとらした……。ばってん、あなたは、この状況じゃ休んどりきらんよね》  大廊下は、瓦礫と死体と負傷者で溢れている。外来診察時間中だったので、本館内に無数の人がいた。投げ出され、服を剥され、皮を裂かれ、肉を切られ、骨を絶たれ、血に塗れた上に土埃を被った負傷者が、至るところで呻いている。放心の態の看護婦が、泣きながら歩く。気の狂った医学生が、怒鳴りながら走る。他科の教授と助手が、揃って逃げていく。大学病院は、想像すらできなかった現実に対応しかねている。  隆は、森山の家に急ぎ帰って緑の無事を確かめたいが、長崎医科大学の医療隊副官兼第十一救護班長に任ぜられているので、踏み止まって指揮を執らねばならなかった。炎が迫り、吹き抜けの窓から火の粉が入り込んでくる。動ける教室員は皆、隆の指示を待っていた。 《まずは、あなたが平常心ば取り戻さんと》  隆は、妻の声を側で聞いたような気がし、勇気を得て開き直り、負傷者の応急手当を教室員とともにはじめた。緑は、出血多量でふらつく夫に付き添い、励ましの声をかけつづける。 《あなた、このまま大学病院の中におったら、危なかごたる。火の無かところに逃げんば》     
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