聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

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 浦上の町は、大きな赤い森と化しつつあった。空を覆う原子雲も、燃えているかのように赤黒い。大学病院も、全館に火がまわりつつあり、多くの窓から煙や炎が噴き出ている。  隆は、本館内にいる歩行困難な負傷者や入院患者をいったん大玄関前広場に集めた。大学病院から西に下った長与道付近で唸りを上げている大きな火柱が、傾いてはあたりの空気中の酸素を奪い、火片を撒き散らす。東に聳える金比羅山は、幸い炎が立っていない。隆は、教室員に指示し、山腹の畑に負傷者等を担いで避難させることにした。  隆は、瀕死の中年女を背負った。女の煤に塗れた髪に、椿油の匂いが微かに残っている。隆の胸が焦がれた。 「緑……」 《うちは、ここにおります……》  夫の傍らで、緑は俯いた。  負傷者等を集めている芋畑は、すっかり葉や茎を吹き飛ばされていた。視界に入ってくる山々も、その腹や麓にある畑も、緑の色を失っている。浦上の無数の小さな丘や谷に立つ木々は、ことごとく折れ、吹き飛ばされた枝葉や草もろとも燃えていた。  森山の家がある丘の付近一帯も燃えていた。立派だった屋敷も、小さくもこんもりと美しかった森も、炎に飲み込まれて区別がつかない。 「緑も、たぶん駄目ばい……。今日に限っては、大学病院で見かけんやった」 《……》  緑は、夫の丸まった背中を見つめながら沈黙せざるをえない。     
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