聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

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 門の石柱は、二本とも吹き飛ばされている。こんもりした小さな森で二つの核をなし、枝葉が競い森山の屋敷の二階の屋根を覆っていた榎と楠の大木は、十メートル程の高さで揃って幹が折れ、焦げていた。均等な厚さの白い灰が、雪のように積もっている。壊れて焼けたタイル張りの風呂場と五右衛門釜、セメント製の流し。波佐見焼の夫婦茶碗の欠片が付着し合い、転がっている。崩れた竈の前に、釜がひっくり返っている。捻じれたフライパンとアルマイトの弁当箱の後ろに、積み重なるように黒い骨の塊があった。常に緑の身につけられていたロザリオの鎖が、すぐ側に転がっている。珠は、焼けて無くなっていた。  緑は、初めて自分の骨を目にした。同時に緑の霊魂は黒い塊に吸い込まれた。  隆は、がっくりと両膝をついた。木切れを放って骨を拾い上げる。緑は、夫の両手に抱かれた。隆は、その場に泣き伏した。さめざめと泣いた。  焼けたバケツに骨を納め、左腕で抱く。妻のロザリオの鎖を首にかけた隆は、傷を負った右手で木切れをつき、墓地に向かってよろよろと歩き出した。 「緑……順番が逆やなかね。三年後に、オイが骨壷に入って、お前に抱かれるはずやったとに……」 《……》  黒い骨の塊は、黙する。  結婚して十一年の間、夫婦の諍いは滅多に起こらなかった。隆は、知人や同僚にしばしば妻自慢をしたものだった。 「お前は、家族と隣人のために働き抜いて、報われることもなく、原子爆弾の炎に燃えてしもうたね」 《うちは、当たり前のことばしよっただけです。好きな裁縫のできて、好きな医者の仕事や研究に打ち込むあなたと、子どもたちと、おばあちゃんと、カトリック信者の皆と、この美しかった浦上の町で暮らせれば、それだけで幸せやったとです》  隆は、枯れたはずの涙を再び流し始めた。 《マコトとカヤノとおばあちゃんば残して死んでしもうて、ごめんね》     
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