聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

3/22
2人が本棚に入れています
本棚に追加
/22ページ
 とはいえ、緑は台所の竈と流しの隙で尻餅をついたまま、身動きが取れない。頭は落ちた天井に押さえつけられている。その上で、原形を留めていない二階の部屋が燃えていた。首に、両の肩や手足に満身の力を込めてみても、どうにも動くことができない。濡れ羽色の髪と接している天井板に、火が燃え移ってくる。緑は、煙にむせはじめた。頭が熱い。すっかり倒壊した屋敷全体に、炎が広がりつつあった。 (うちは、このまま、焼け死ぬるとやろうか。警報の合間に、御堂で告白ばすませといてよかった)  八月十五日の聖母被昇天の大祝日を控えてのことだった。「被昇天」とは、聖母マリアの死後に霊魂と肉体が天国に引き上げられたことをいう。  緑は、もんぺの衣嚢からロザリオを取り出して祈った。 「天主の御母聖マリア、罪人なる我らのために、今も臨終の時も祈りたまえ」  さらなる煙にむせて咳込む。 (うちは、生涯で犯した罪もろとも焼かれて、天国にいけるやろうか。うんにゃ、まだいかれん。大学病院にいかんば。あの人の無事ば確かめるまでは、死なれん)  緑は、銃後髷の椿油が馴染んだ黒髪から燃えはじめた。 (熱か、痛か、息の苦しか、あなた、あなたあなたあなた……)  黒絣の上衣と縦縞のもんぺに燃え広がる。全身を炎に包まれ、緑は再び気を失った。      *     
/22ページ

最初のコメントを投稿しよう!