聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

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 森山緑は、母のツモが作った煮物を近所の叔母宅に届けにいこうとしていた。屋敷の玄関を出て門に向かいつつ、前庭から下った石畳の小道に学生服を着た大男がこちら向きに立っているのに気づいた。  隆は、身長百七十一センチ、体重七十一キロと、昭和初期の成人男性としては堂々たる体格の持ち主である。 (今日も、浦上の町では桜の花の霞むごと草木の緑の輝いとるばってん、やっぱりこの小さかけどこんもりした森が一番、)  森山家の一人娘は、大男に見つめられ、 「緑のきれいかあ」  と言われて火が点いたように赤面して足を止めた。男からきれいだと言われたのは、二十三年の生涯で初めてである。が、程なく勘違いに気づいた。大男の目は、自分ではなく、背後の小さな森を捉えているらしい。屋敷の裏に立つ榎と楠の大木の枝葉は、競って二階の屋根を覆わんとしている。その脇で、椿や竹や樫も豊かな緑をなしていた。 (この太か男の人はなんね。人んちの前に突っ立って)  緑は、不審に思いながらも、大男の力を帯びた双眸に、好感を持たずにはいられない。生まれて初めて芽生えつつある恋心には、まだ気づかなかった。石段の手前までやってきたが、大男は突っ立ったまま、こんもりした森を見つめつづけている。よほど集中しているのか、視野が狭まっているらしい。     
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