聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

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   聖母被昇天の大祝日、八月十五日を控えて

 昭和二十年八月九日。  午前十一時二分。  永井緑は、自宅の台所に立っていた。向き直り、しゃがんで身構える。爆弾を落として飛び去る際に米軍機の放つ鋭い爆音が、頭上より聞こえてきたからだった。  程なく、長崎浦上の中心に位置する松山町の上空約五百メートルで、プルトニウム型原子爆弾が炸裂した。ぴかっ、と鮮やかすぎた。白く青く赤く光って視界を塞ぐ。しゃがんだままで頭に両手をやりかけた緑は、全身に甚だしい高熱を感じた。爆心地から自宅である森山の屋敷まで、六百メートル強。すでにこの時点で、木造家屋を通り抜けたほぼ致死量の放射線と中性子線の照射を受けている。千度を超える熱線の直射による即死は免れたものの、鉄筋でない建物の屋内にいた緑は、助かりようがなかった。  次の瞬間、どん、と耳を劈かんばかりの爆音とともに、居間のステンドガラスが割れ、床の間におかれている白磁の聖母マリア像が砕けながら倒れた。斜めに崩れ落ちてきた一階の天井の直撃を受け、緑は気を失った。     
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