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「冷たくて、固くて、ぱさぱさで、お世辞にも美味しいとは言えない味だった。それでも、私はあの時のパイよりも美味しい物を知らない。泥と涙の味のするパイが、あの時の私を救ってくれたんだ」
かすかに微笑む顔には僅かな希望が見えた。
自分に向けられたことのない無邪気な笑みに、ウィリアムの胸が小さく跳ねる。
「マザーは私に全てを与えてくれた。だけど、何も教えてくれなかった」
穏やかな表情から一転、ドロシーは悔しげに唇を結んだ。
握りしめた拳は震え、必死に悲しみをこらえているのが分かった。
「ただ、大飯ぐらいの大人よりも、貧相な餓鬼を店で使いたかっただけかもしれない。実際、マザーは私に山のように仕事を与えたからな。掃除、洗濯、パイの仕込み――何でもやらされた。眉間には深いしわがあって、節くれだって痩せた体で何も言わずにいつもパイを焼いていた。一度だって、私の名前を呼んだこともないし、名前を教えてくれたこともない。だから、私は彼女をマザーと呼んだ」
「母親、か……。母親代わりのことを何もしてくれない老婆を、母と呼んでいたのか」
皮肉な言葉が出たのは、あまりにもドロシーが幸せそうな顔をしていたからだった。
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